中国(当時の明)にも薩摩藩にも忠誠を誓い、過酷な台風シーズンに耐えながら、航海し続けた海の男たちと、その帰りをひたすら待っていた女たちの物語を想像すると、琉球王国という王国の限界を感じる。そして、なぜ王族は、もう少し知恵を働かせて生き延びる術を生み出すことができなかったのか、朝貢、つまり捧げ物に神経を遣い過ぎて、琉球庶民のことまでちゃんと考えていなかったのではないか、あるいはそんな余裕すらなかったのかと考え込んでしまう。
沖縄ワールドで見た、紅型(びんがた)、ガラス細工、シーサーの焼き物、黒糖などは、特産物にしてはパワーがなく、紅型(染物)、織物などは当時、王族たちの着物に使われることはあっても、手工業として発達するほどの規模ではなかった。
明治以降、突然、日本の一つの県にされてからは、沖縄のアイデンティティーはいよいよ薄まり、沖縄色を捨てて、ヤマトンチュー(大和=日本)に同化していくことに力が注がれていった。そうしなければ、生き延びられなかったのかもしれないが、なんとかならなかったのかなあ。
で、結局、日本の犠牲になって、唯一の地上戦の舞台となり、20万人の人が戦死する。戦後は27年間に及ぶUSAの支配だ。1972年に本土復帰となるが、それ以降37年、沖縄は南の島の観光地として何とか生きているという感じがどうしてもしてしまう。
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