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2008/08/27

SONYの企業姿勢を問う。

 天下のSONYに対する怨みは深い。その最初はビデオのベーターがVHSとの競争に負け、市場から撤退したことに対する怒りである。そう、うちはSONYのビデオ再生機をわざわざ買ったのだ。それも、巷では既にベーターの撤退が噂されていた時期に。買った私もアホだったが、そのことを知ってか知らずか、売りつけたSONY代理店のおっさんの顔、私は忘れない。撤退を知らないわけないじゃない。道理で安かった。 

 互換性に対する認識不足。これって一流企業のやることでしょうか。国際競争力低下が進むだけ。衰退するSONY。私には近い将来の、その姿がどうしても目に浮かぶのだ。ブランドに胡坐をかいていたら、おしまいだ。吉兆だけではないのだ、今の日本で凋落の一途を辿る運命にあるブランド店は。 

 次なる互換性欠如の怨みはMP3、WALKMANだ。私は韓国の音楽(いわゆるK-Pop)CDをけっこう持っている。パソコンにコピーして、かつてはOZZIOという韓国系(?)のMP3に入れて、留学生時代散々聞いていた。東京に戻ってSONYのWALKMANを家人が買ってくれたので、同じように楽しもうとパソコンから入れようとした。ところが入らない。理由は韓国語版だからだって。なんという偏狭さ。ハングルは中国語と並んでJR、Tokyuほか私鉄の駅表示板にも併用されている時代よ。なんというアナクロニズム。   

 韓国ではSONYのVaioの人気が高いらしい。各メーカーの人気の度合いは、何を目的にするかによって決まる。たぶんSONYなら、音質だろうか。SONYのスピーカー、イヤホーンに対する神話はいまだに韓国では根強い。実態はどうなのだろう。割高のSONYをわざわざ選ばなくても、音の解像力の点で差はなくなってきているのではないか、というのが私の見識である。もっともSONYのPlay Stationの人気は不動のものかもしれない。ゲームの世界で生き残っていくしかないのかな。 

 ということで、互換性を無視したソニーのMP3は机の引き出しに入ったままだ。今すぐにとは思わないが、あの最新iPodが定着して安定供給されるのを私は密かに待っている。

2008/08/23

涼しい土曜日

 処暑/二十四節気の一つ。陽暦8月23日。    朝晩次第に冷気を覚える時分の意。   (新明解国語辞典より) 

 本当に涼しい日だった。あの蒸し暑さはなんなんだったのか、今や思い出せないほどの涼しさ、快適さ。あまりに突然だったので、うれしいけど、やはり調子が狂う。 

 今日、西武池袋線を利用したのだが、駅に着いてドアが開くたびに、弱冷の車内よりホームの方が余程ひんやりした風が入ってくるのだ。これで暑さがぶり返したら、きついだろうなあ。少しでも残暑が短いことを祈るしかない。 

 ソウルは先週ぐらいから既に涼しくなってきたそうだ。今年の秋夕(チュソク)は、9/13~9/15で、中秋の名月は14日だ。日本も敬老の日で三連休だから、今年は日韓で休日が同じ時期になるわけ。秋夕が過ぎれば、秋の始まりだ。昨年はもう少し遅い時期だったせいか、暑さがいつまでも続いた。 

 「ソウルの秋は年々短くなる」と、知り合いの誰もが言う。8年ぐらい前の10月初頭に、朝、旅館から出たら5℃だったことは記憶しているが、私の感覚から言うと、10月の中旬ぐらいからソウルの冬が始まるという感じがする。ちなみにオンドルはほんのり暖かい程度だが、9月から入っている。オンドルの温度が上がれば、外気は零下に下がってもなんの心配もない。オンドルの季節に向かっていると思うだけで気力が湧いてくる。 

 この秋、あるいはもう冬になっているか、1年5カ月ぶりに私はソウルに行くことになっている。

2008/08/22

欠陥網戸のこと。

 夕べ、雷が鳴って待望の雨が降った。強い北風が吹いてきて、南側の網戸下半分の網が剥がれてしまった。レースのカーテンと一緒にベランダ側にぺラッと突き出ている。この網戸は2年前だったか、便利屋さんにお願いして網戸2枚を張り替えてもらったばかりのもの。もう1枚の網戸だって、設置後まもなく、部分的にひずみが出来て、ある程度の大きさの虫ならたやすく入り込める隙間が出来てから久しい。 

 便利屋さんの腕が悪いのか、網戸自体の構造に欠陥があるのか(網を食い込ませる深さが浅いとか)、ともかく網戸の用をなさなくなった。 

 昔、網戸を自分たちで張り替えたことがあった。NHK教育TVの「Do it your self」とか何とかいう番組に刺激されて、網を購入してヒーヒー言いながら張替えに成功したことがある。でも2年前はその気力が失せてしまい、網戸2枚分、9000円を払って(1枚4500円は今思っても高い!)短時間のうちに仕上げてもらったのだ。 

 2年経てば、作業の有効期限は切れるのだろうか。あまりの早業に「プロは違うわね」などと感心したものだが、「お金、返してくれ~~」と、私は心の中で叫んでいる。欠陥作業だった可能性だって否めないからだ。 

 9000円といえば、韓国ウォンに換算して9万ウォンだ。4人で十分会食できる金額だ。怒りが新たにこみ上げてきたが、あの便利屋さんには2度と会いたくない。さてどうするか。網戸自体の構造に問題がある可能性だってあるかもしれないから、網戸そのものを買い換える、これが今のところの結論だ。  

 今日は近所の病院で人間ドックを受けに行く。午前中だけの簡単コース。留学前から検査を受けていなかったから、かれこれ5年以上にはなるか。いや、手元の資料によれば2000年が最後だった。ボロくなったのは網戸だけではなかったりして。

2008/08/20

映画「西の魔女が死んだ」  監督:長崎俊一

http://nishimajo.com/i_index.html  久しぶりの映画館。 考えてみたら、帰国後初めてだったということに思い至り、びっくりした。 

 梨木香歩(なしき・かほ)原作の映画化は、原作者のOKが出るまで長い歳月がかかったそうだ。登場人物の「まい」と、英国人祖母のとの切なくも心温まる物語は、わざわざ映像化する必要があるのだろうかと思われるほど、梨木の筆致は優れて平易だし、読者の頭に出現する森の有様、そこでの日常は活字の世界で十分堪能できる。 

 でも映像関係者であれば、この作品を映像化したいという気持ちになることは十分想像できる。映像化すれば、風の音、雨の冷たさ、霧の湿り気、セミの声など五感にも訴えられるし、本に描かれた、さまざまなハーブ、小さな植物、摘み立てのイチゴ、森の木々など眼前に広がる景色は、実際、映画を見ると、見事な映像世界として既に私の頭の中にあった風景と重なっていくことに驚かされるのである。 

 主人公の「まい」は、私が頭の中で描いていた中学生のまいとほぼ同じイメージで、その自然な演技は初めてとは思えないほど心に残るものだった。  

 そして、おばあちゃん。英国人で、中学の英語教師として日本に渡り、同僚の理科教師である日本人と結婚するという設定なので、これはもうかなりむずかしいキャスティングだったと思われる。 

 知日家で知られるシャーリー・マックレーンの娘、サチ・パーカーは、まさにこのおばあちゃん役にうってつけだった。彼女以外には考えられない。サチ自身、2歳から12歳まで日本に暮らしていた経験があるからなのか、それはそれは美しい日本語を話す。丁寧な物言い、明瞭な台詞の言い回しに、最初、吹き替えかしらと思ったほどだ。まいを見つめる彼女の愛情に満ちた表情と、まいとママ(おばあちゃんのひとり娘)を見送るときの悲しそうな、でもちょっとおどけたように見える表情は今も私の目に焼きついている。実はこのシーンがまいとママにとっておばあちゃん最後の姿になったのだ。  

 梨木の描く「魔女」は、人々をたぶらかしたり、魔法を使ったり、占いで未来を占ったりしない。 「魔女」は「自分のやるべきことを自分で決めて実行することの出来る女性」のことである。日本ではそういうタイプが生きていくのはまだまだむずかしい。 

 森の生活は単調であるが、生活するための智恵と工夫と、自然からの刺激に満ちている。まいは1カ月余りの生活を通して、おばあちゃんから多くのことを学んでいく。

 おばあちゃんとの最後の約束。「魂が肉体から離れたときは知らせてね」。キリスト教的世界観ではなく、仏教的世界である。というより、既成宗教が出現する以前の原初的な考え方であるというべきかもしれない。 

  人は亡くなると、肉体は滅ぶが魂はそこから離れて自由な存在になる。肉体にくっついていたときは、そのことによるさまざまなこだわり、軋轢、煩悩に悩まされるが、魂が離れて初めて自由な存在になるという考え方である。死んだら「私の心はどうなるの?」と思い悩んでいたまいにとって、これは救いになった。  

 物語の映画化は、物語をそのままなぞらえることではない。原作を元にした、監督によるもう一つの作品化である。女性性が強く表現されたこの作品を長崎監督がどこまで消化し映像化したのだろうかと大いに興味があったが、想像以上に成功したと思える。 

 ただし、原作にはない郵便配達夫とのエピソードは、おばあちゃんの日常生活を裏付けるものとして設定したように感じられたのだが、それは必要なかったのではないか。浮世離れした森のおばあちゃんと村人との触れ合いをわざわざ描かなくても、森での日常を観客に感じさせる演出がほしかった。 

 サチ・パーカーという不世出の女優の存在は、この作品の中でも異彩を放っている。原作者の描いたおばあちゃんがそのまま私の目の前に登場したという感じだった。サチ・パーカーが娘と孫娘を見送るシーンはあまりにも素っ気ない様子だっただけに、それだけ切なく、いつまでも心に残った。 

 撮影監督は渡部眞氏で、その深い色合いと、光と影が織り成すコントラストが印象的だったことも付け加えておきたい。 (8/7木曜日 恵比寿ガーデンシネマにて )  *8/29まで一日一回上映されています。(10:30~12:40)

2008/08/18

梨木香歩『西の魔女が死んだ』新潮文庫 2001年

 梨木香歩という作家を全く知らなかった。児童文学、ファンタジーの分野でかなり以前から活躍していたらしいが、ここ何年か日本を留守にしていたこともあって、今日まで知らずにいた。  

 文庫の帯には映画化の宣伝と、「最後の3ページ、涙があふれて止まりません。」というコピーがついている。 

   作者は1959年生まれ。鹿児島で生まれたが、外国で育ったらしい。そのせいか、森を舞台にした、祖母と孫娘(まい)の美しいストーリーは、日本的な雰囲気があまり感じられない。祖母が英国人という設定のせいもあるだろう。  

 人は死んだら、どうなるの? 私自身の魂はどこに行くの? 中学生なら誰もが抱く素朴な疑問にとりつかれたまいは、大好きな祖母と1カ月ちょっと森の家で生活して、彼女からすばらしい心の贈りものを受け取るという物語だ。 

 帯のコピー通り、私は鼻水まで出して、号泣した。自分のあまりの単純さに呆れたが、まだ感動する心が残っていたことに安堵した。 

2008/08/14

雷鳴だけで雨降らず

  暑い!  

 遠雷が聞こえるのに、雨降らず。湿度が割合に低いので(60%)、室内が32℃に上がっても、自然の風と扇風機だけで何とかしのげる。それほど私はエアコンが嫌いだ。各戸の室外機から出てくる猛烈な熱と、電車、地下鉄、車のエアコンで都会は熱帯だ。昨年のメモによると、暑さは10月の上旬まで続いた。1年のうち、半年は熱帯だということだ、今の東京は。 

 韓国から戻った家人によると、あちらも暑くて、東京とあまり変わらなかったそうだ。  20年前の9月初旬に初めて韓国を訪問した。成田に戻って空港の外に出たら、あまりの熱気と蒸し暑さに、思わず引き返そうと思ったことがある。それほど当時の韓国は蒸し暑さとはほど遠かった。まだ開発がし尽くされていなかったのだと思う。その韓国も今や、ヒート・アイランド現象と、二酸化炭素大量排出のため、暑く長い夏に悩まされるようになったのだ。

 子供の頃、エアコンなどなかった。扇風機がようやくあるぐらいで、夏の蒸し暑さも何とか凌げた。まだあの頃は学校の運動場も土だったし、空き地も林も残っていた。 

 今ではアスファルトの運動場、空き地の代わりに駐車場、そして緑は公園を除いて少なくなった。 

 二酸化炭素削減などと声高に言っても、その程度の努力で昔に戻れるはずもない。一度味わったエアコンの快適さを捨てる人はもういない。

2008/08/12

M嬢に電話する。

 プリペイドの国際電話カードが5枚残っている。使用期限があって、使用開始から24カ月である。5枚のうち、2枚は2007年に使い始めたから、期限は2009年まで。未使用の3枚については、2009年1月末までに使用を開始するようにとあるから、最大限2011年初めまでは使えるということだ。 
 
 私が留学中、家人が買っておいたものだが、帰国してからそのままになっていた。韓国人とはメールで連絡すれば事足りていたが、せっかくの国際カード、使わないのはもったいない。ということで、昨日、本当に久しぶりに遊び人のM嬢に電話してみた。彼女は一昨年結婚したから「嬢」というのもどうかと思うのだが、私の中ではいつまでも遊び人のお嬢さんだ。昨年の2月に東京で会って以来音沙汰がなかった。  

 国際電話カードは所定の電話先にまず電話してからカード番号を入力、それから相手の電話番号を押すのだが、相手の携帯電話の画面に韓国内の電話番号が表示されるということが最近わかった。  

 韓国人の中には、知らない電話番号には一切出ないという人もけっこういる。細かいことを気にしないとか、好奇心が旺盛な人なら、見知らぬ電話番号であっても気軽に出る。 
 
 案の定、M嬢は電話に出た。呼び出しメロディーも相変わらずけたたましい感じの노래だ。彼女は私とわかると、奇声を発して、「私、娘を産んだんです、去年の11月に」。びっくりした。彼女は教師なので、방학中の今、どこか旅行に出ているか、昼寝でもしているかなどと思っていた。あのM嬢が母になったとは。 

 母になって9カ月目。それでも彼女は相変わらずキャラキャラしている。新学期からは娘を預けて復職するという。'아빠~'としか言わないと彼女は憤慨するが、どんな赤ちゃんだろう。秋にソウルへ行ったら、ぜひ会いたいものだ。 

 教え子のヒョンジンにもかけてみた。呼び出しメロディーは聞こえたが、結局、切れた。やっぱりね。彼女はとても慎重で、軽はずみなことなどしない。今はどうか知らないが、当時は唯一남자 친구がいなかった。友人たちから、もっと積極的に生きないとだめよと常々言われるような子だった。韓国に行って電話するしかないなあ。そうそう、残りの教え子3人は結婚したのだ。3人のうち一人は新婚の夫をおいて、大阪に留学中である。ヒョンジンも博士課程に進んだ。  

 月日が流れたということだ。

2008/08/11

アクセサリーの整理

  夕べ雨が降って、정말 시원해졌다.久しぶりにエアコンを使わずに眠れた。 

 ぐっすり眠れたからか、6時半には生ゴミを捨てに行って、ついでに葉書を一枚投函した。午前中も北からいい風が吹きぬける。掃除、洗濯をして気分もさっぱりした。 

 韓国の북로그も一つポスティングした。猛暑でぼんやりしていた頭もすっきりしてきて、韓国語の作文も効率よくはかどった。 

 昨日は扇風機をかけながら、小引き出しのアクセサリー類の整理をした。まがいものから高価な品までいっしょくたに入っているので、ネックレス、ピアス、ブローチ、ブレスレットをそれぞれビニールの小袋に入れて、整理してみた。 

 リフォームしたら使えそうなものと、一生使わないと思われるようなものなどがあって、いずれ近所の宝石屋に行って、相談するつもりだ。 

 ふだん使う辞典類、国語辞典、英和辞典、韓日辞典、日韓辞典、植物図鑑、仏和辞典などなどは、先日松本から持ち帰った義弟手作りの机上本箱にうまく収まった。 

 さて、次は何をどういうふうに片づけるか。 

 突然、蝉の鳴き声がしてきた。夕べの雨で地中から出てきたのだろうか。 

 昼前後から気温がぐんぐん上がってきて、午後には光化学スモッグ警報が出た。外出はできるだけ避けてみよう。戦前の空襲警報よりはいいけど、環境は確実に悪化している。

2008/08/10

留守をフルに活用する。

  予報通り、北から冷たい風が入ってきた。明け方、家人がクーラーを消して窓を開けたらしいのだが、目覚めたら、冷たい空気を感じて、まだクーラーがついているものとばかり思っていた。 

 熱帯夜は最低気温が25℃以上のことだが、夜明けの室温は、このところ28℃とか29℃とか、とんでもない温度だった。今日は昼間も31℃くらいで「しのぎやすい」とのこと。それでも31℃だもんね。

  家人は今日から韓国に行く。朝6時には羽田に向かった。今日から4日間、すべての時間が私だけのものになる。贅沢な夏の休暇。することはたくさんある。
 
 まず、身の回りの片付け。リビングの一隅を占める私の机、書棚、パソコン周辺、かなり雑然としてきてからだいぶ経つ。いらなくなった書類の破棄、一度読み返したらもうそれで捨ててもいいような手紙類、写真の整理。それに冷蔵庫、台所の収納庫など、気にはなっていたけど手つかずのままにしていた諸々の片付けをゆっくりやるとしよう。 

 それと、パソコン内部の整理も。ドキュメントをもう少しすっきりさせたい。
  
   お盆を目前に通りの車もだいぶ減ってきた。今日は日曜日、近所のワンルーム・マンション建設工事もない。ああ、いい気分だ。  

2008/08/09

さて、始めるか。

 5年ぐらい続けていたブログを、昨年の猛暑の中、魔がさしたといったらいいのか、とにかく、一挙に消してしまってから(何者かの力が働いて、突然消えてどこかへ飛んで行ってしまったという感じがいまだに残っている)、また猛暑の真っ只中にいる。 

 さすがにクーラーはつけているが、それでも頭の中は朦朧として、こんな状態で始めていいものだろうかとも思うのだが、始めよう。Gamila日記の再開だ。場所は変わって、Google。  

 世間では北京オリンピック一色のように見えるが、私は全く関心がない。こんな暑いときに暑苦しいイベントをよくもするものだわと、大国嫌いの私は思うのだ。いつからスポーツの祭典が政治の道具と化したのかよく思い出せないが、犠牲者が出ないまま無事に終わってくれることを祈るしかない。 

 そうだ、今日は長崎に原爆が落とされた日だ。午前11時過ぎだったよね。忘れなかったら、黙祷しよう。63年経つんだね。63年経っても、相変わらず、世界のあちこちで戦争が勃発している。独立を求めるチベットの人々を押さえ込み、四川大地震の惨状も隠して、オリンピックが開かれている。しらけるね。  

 最近思う。人間性に欠けた人が政治家になるのか、政治家になってから、徐々に人間性を失っていくのか。  

 ともかく暑い。明日は少しマシになると言ってるけど、週が開ければ、当分の間、猛暑がどっしりと腰を据えることだろう。今日はこの辺にしておこう。