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2009/01/30

沖縄入門

 来週から初めて沖縄に行くので、今ようやく関連書籍を読み始めた。
 まず、平凡社ライブラリー『沖縄歴史物語』伊波普猷(いは・ふゆう)著。外間守善(ほかま・しゅぜん)による解説がわかりやすい。伊波普猷が、いかに沖縄のアイデンティティーを世に知らしめたのか、そして彼の情熱がどこから来るのかについてよくわかった。

 沖縄学ともいえる分野において伊波を無視するわけにはいかないほど、その存在は大きいが、彼が地元の図書館長の職を投げ打って50歳になる前に東京へと出奔した理由の大半に女性の存在があることはある意味タブーになっている。相手はかなり年下の独身女性で、伊波は妻子も捨てて、若い女性と沖縄の広報活動に残り人生の20年を捧げたのである。

 歴史は夜作られるという名言があるが、この女性の存在は大きい。彼女は伊波の原稿を数百枚にわたってカーボン紙に写し取るという作業までしている。愛の力だ。

 沖縄については、琉球王国のイメージが強く、独特の琉球語も相俟って、私にはどこか外国の島という印象しかなかった。日本列島には見られない、南の島の文化がどのように継承され、日本によって剥奪され、結局、日本唯一の激戦地として想像を絶する犠牲を強いられたこと、そして今でもアメリカ軍の最大の基地を押し付けられていることなど、これから少しずつ読み解いていきたい。

2009/01/29

世界に誇れる郵便配達と宅配便システム

 そう、今日は気分を変えて、日本の優れたシステムについて書こう。 
 
 まず、完璧に近い郵便配達の優秀さだ。郵便番号さえ間違えずにきちんと書けば、日本全国どこでも、投函した翌日に着く。わざわざ速達にしなくても、出した翌日に着くというのは、実はすごいことなのだ。速達にすれば、玄関まで届けてくれる。 
 
 韓国では考えられない。郵便番号を書いても、翌日着いたという話を聞いたことがない。ましてやソウルから地方に出す場合は、けっこう日にちがかかる。日本ほど郵便番号に対して神経を使わないところを見ると、そのシステム、まだ完全ではないという気がする。

  航空便、特にEMS便について言えば、日本から出す方が確実に早く着く。韓国からはソウル発であれば、東京発とさして差はないが、地方からEMSを出すと、いったんソウルに行ってから飛行機に載せるので、1日2日遅くなる。韓国の地方と中央の格差はこういうところにもはっきり表れる。  

 宅配便の超システム化。その歴史が古いからクロネコでもペリカンでも佐川でもほぼ違いはなく、どこも午前、午後の時間帯指定がずれることがない。運転手の携帯電話との連携で肌理の細かい配慮もされている。

  韓国では、そうはいかない。まず時間帯指定ができない。運転手の采配に左右されるので、翌日着くということは考えられない。 

 留学中になんの前触れもなく、届いたことが多く、留守中は、私の携帯にかかってきて、「今、近くにいるけど、どこにいますか」と聞いてくる。そのときは私もアパートの近くにいたので、急いで戻ったけど、大学にいるときは、夜にならないと戻れないと言ったところ、「しょうがないな」と言われ、翌日来るのを待って受け取ったこともある。宅配業者優先なのだ。  

 日韓のこの違いはどこから来るのか。それは管理システムの徹底に差があるからだ。私から見ると、韓国人は管理されることをひどく嫌う。自分のペースが乱されることに殊の外腹を立てるという傾向がある。この先、韓国の業界がどうなるかわからないが、日本式徹底管理は、韓国には浸透していかないのではないかと思われる。 

 郵便配達の最前線では誇らしい仕事振りを見せてくれているのに対して、旧郵便局の窓口のもたもたがせっかくのシステムを台無しにする場合が多々あるということを最後に付け加えておきたい。

2009/01/24

韓国は明日から旧正月の連休

 今年のソルラルの連休はは1/25,26,27と、火曜日までだ。今日土曜日から休みに入る人も多いだろう。ブログも「セへ・ポン・マーニ・パドゥセヨ」というポスティングが急に増える。  

 ソウル在住の地方出身者はいつものように、渋滞もなんのその故郷に帰る。ソルラルは秋夕(チュソク)に比べると、やや規模が小さくなる感じだ。同じ名節(ミョンチョル)でも、やはり最大の祭りは秋夕だ。  

 もう何年前になるだろう。ヒョッチャの息子ウォニがまだ小学生だったから8年ぐらい前か。ソルラルの頃、私はソウルにいたことがある。短期の韓国語レッスンのため、冬の2カ月、クリスチャン専用のゲストハウスに滞在していた。私自身はクリスチャンではないが、ヒョッチャの紹介で一日2万ウォン、食事付きという破格値で滞在できたのだ。 

 そこは、世界各国へとミッションで渡っている韓国人伝道師や、牧師などが一時帰国の際に利用する所だ。ケニア、インドネシア、USA、北欧、中国etc.本当に多様な国から戻ってきた人々と知り合うことになった。もちろん共通語は韓国語である。当時はまだ聞き取りが完全ではなかったので、私のために英語で説明してくれる人もいた。あの頃は苦手な英語でも十分通用するほど韓国語の方はいまひとつだったのだ。  

 ソルラルの連休はさすがに人がいなくなる。皆親戚や知り合いの家に呼ばれるので、ゲスト・ハウスはがらんとしてくる。私はヒョッチャから自宅に招かれていた。朝早くから来るように言われていたのだが、もたもたしていると電話がかかってきて、「何をしている? 早く来て、料理の手伝いをしてちょうだいな」  

 で、結局、料理の準備がほぼ終わった頃に彼女の家に到着した。ソウル中心部から地下鉄で40分ぐらいかかって、そこからマウル・ポスに乗り換えていく。けっこう遠いのだ。同じ市内でも、彼らはそこを市内とは言わない。  

 午後から牧師の兄弟がやってきて、ヒョッチャが用意した手料理を食べる。私は皿洗いを専門に手伝った。一緒にこちらへ来て食べればと言われたが、話題もないし、何より世間話をするほど韓国語ができない。当時はそうだったなあと今にして思うのだ。 

 お客が帰ったあと、娘のヘスクとウォニからセベの挨拶を受ける。このとき私は初めてセベ(お年玉)を彼らに与えた。二人とも外国人に新年の挨拶するのをとても恥ずかしがって、なんだかへらへらしながらやっていた。へらへらしていたけど、私はうれしかった。親戚の子供みたいな気がした。 

 その後、ヒョッチャ一家は牧師のお父さんの家に新年の挨拶に行くため、私はヒョッチャの実家に預けられた。ヒョッチャのご両親とは顔なじみなので、別に緊張することもなく、ここでもトックをいただきながら、お父さんの流暢な日本語を聞いていた。そのうち眠たくなり、昼寝までさせてもらった。 

 新春といってもまだまだ外は凍てついていた。その日の晩は別の家族からも自宅に招待されていたので、夕方戻ってきたヒョッチャたちに挨拶して、またゲスト・ハウスに戻っていった。泊まらないで帰るので、ヒョッチャは残念がったが。  

 遠い日のことになってしまったが、既に21世紀にはなっていた。なのに、かなり昔のことのように思えてならない。その後、2年余りの留学を体験したから余計そう思えるのかもしれない。当時は雑誌も2号をやっと出したばかりだった。 

 中年になってからの語学習得はやはりかなりの努力を要するものだ。記銘力の衰え、老眼の始まりもそれに追い討ちをかける。若い頃のようにスラスラ、スイスイと語彙力がアップしていかない。それを補うものは詰まるところ、洞察力と想像力である。一つの外国語を習得していく道のりは長いが言語、その国の文化を知り、そして何よりも、多くの友人を得た。これほどやりがいのある勉強があるだろうか。

 ソルラルが過ぎれば、陽射しはますます伸びてゆく。2月に入ったら、沖縄旅行も控えている。あちらは梅も菜の花も咲いたらしい。飛行機で3時間。ソウルより遠い沖縄だが、わくわくする。

2009/01/23

泉ガーデン・タワー

 右手奥に見える深緑色のビルディング。色に惹かれた。赤坂方面らしい。 今度行ってみようと思う。          東京タワー大展望台(地上150メートルより撮影)

2009/01/19

Tokyo Tower

 久しぶりに東京タワーの大展望台(地上150メートル)まで昇ってみた。天気はいまいちだったけど、赤坂方面に見えた深緑色のビルに目が惹きつけられた。泉ガーデンタワーらしい。今度はそこに行ってみたい。写真は夜8時を過ぎてからの東京タワーです。

2009/01/16

しばらくお休みします。

 カフェや韓国のブログ、ブックログの更新で忙しくなってきたので、日記はしばらく休みます。  

 韓国はもうすぐソルラルですね。  ソルラル後遺症にならないよう、いいお正月をお迎え下さい。  ちょっと早いけど、  
 
새해 복 많이 받으세요! 
             2009년 1월 16일 (금) (음력 12월22일) Gamila 드림

2009/01/13

STESSA Cafeそして、映画「おくりびと」

 昨年の12/30に開設されたSTESSAの Cafeだが、今日現在、会員が24名。順調な滑り出しと言えよう。会員のほとんどが顔見知りである。今まで一度でも執筆してもらったことのある人や、ブログやブックログで知り合った人も何人かいる。ありがたいことだ。 

 さて、カフェの運営はおいおい考えることにするが、その目的はいつも韓国にいるわけではない私たちと雑誌関係者との親睦を図ることが第一である。今日はメンバーの一人から、映画「おくりびと」の紹介を受けた。韓国での題目は「グッバイ」だそうだ。この韓国語タイトルはちょっと気に入らない。 

 先月ソウルに行く機内で、この映画を見たばかりだった。本木雅弘がいい。山崎努もさすがにいい。映画のテーマもすごくいい。座席の小さな画面で見たのがちょっと残念だったが、映画館で見たらもっとよかっただろうと思う。本木の自然な演技にはいつも感心させられる。広末涼子は好きになれないなあ。まず、声が粘着質で嫌いだ。黙っているだけの役ならまだいいかも。 
 
 山崎努がいなかったらこの映画は成り立たなかっただろう。うまい役者だ。ベテランの味というか、この人、芝居を楽しんでやっている。俳優もここまで来たら、本望だろう。私は常に、主演級よりも助演者についつい目が行ってしまう。  

 映画もTVドラマも脇役がよくないとダメだ。脇役がどれほど遊びを入れて演技を楽しんでいるかによって、その作品のよしあしが決まるといってもいいだろう。主演級の俳優は存在するだけで絵になる人がやればいいのだが、脇役となると、そうはいかない。その辺のバランスを監督や演出家が巧に計算した作品が成功する。

2009/01/11

私の辞書にない言葉

 3つある。

 まず、「妖艶」。

 学生時代にサークルのある先輩から「君にはおよそ縁のない言葉だね」とつくづく言われてから現在に至るまで、なぜか、私の守備範囲に入ってこない。ちなみに三省堂の新明解にはこう出ている。

「女性の姿が美しく、男性を誘惑しそうな何かが感じられる様子」。

 「誘惑」という概念もないなあ。あの先輩、今頃どこでどうしているのやら。まっとうなお言葉でした。

 2つ目。「風格」。

 新明解いわく「①存在者・行為者としてのスケールの大きさと、重み。②人の作った物に見られる格調の高さや、他に見られぬ持ち味」

 これも無理。これは家人の守備範囲だわ。

 3つ目。「富貴」。

 新明解いわく「社会的地位もあり、収入も多い様子」
 これも明らかにないわ。

 留学から戻ってきてから私は一切稼いでいない。それまでの稼ぎだって、仕事柄、雀の涙ほどの稼ぎだった。それでも*十年、稼いできた自尊心はある。私の属した業界、単価がひどく安かったのよね。苦労のわりに実入りが少ない。

 帰国後、仕事先から「そろそろ戻ってきませんか」とオファーがあったけど、断りました。完全に引退だあ。もうチマチマと稼ぐのは真っ平だ。お金にならないことに関心が移ったと言えばいいのか、その分、家人には引き続き働いてもらわねばならない。

 ちなみに2つ目と3つ目のキーワードは家人による申請でした。

 今日、正式に受理しました、はい。

2009/01/10

パソコン・キーボード打法

 学生時代に独学で英文タイプを習得したので、これを生かして私の日本語入力は10本の指を駆使したローマ字入力である。「機関銃のように打つ」とは家人の感想。もちろんブラインド・タッチである。    

 韓国語入力はというと、これもハングルのキーボードの並びを覚えてしまったので、ブラインド・タッチ。やはり「機関銃のように打つ」と家人は恐れる。 

 そう言う家人はというと、驚くことに中指2本打法である。しかもキーボードの並びが頭に入っていないので、アライグマのように頭をヒョコヒョコ動かしながら、2本の中指で器用に打つ。それがなかなかに速いのだ。  

 「そんなに速く打てる人っているかしら。中指2本打法世界選手権にでも出たらどう?」と言うのだが、「うるさい!」の一言しか返ってこない。もったいない話である。

2009/01/09

MySpace

 このブログを開設して約1カ月後に、 MySpaceでもブログを始めた。似た内容にならないように書き分けてきたつもりだが、単純な性格がわざわいして、どうも似通ったブログ展開になってきた。

 Googleのブログにはない面白みとして、オバマ(大統領)をはじめとして、世界各国のアーティストや、もちろん日本のアーティスト(あの小室哲哉もいる)など、有名人ブロガーがわんさかいるので(世界2億人に開放されているとか)、華やかな気分、というか、要するにミーハーになれる。いろんな国からフレンドになろうという申し込みもあって、なかなかにエキサイティングでもある。ブログは日本語で書いているが、フレンド申請や、メールのやり取りは英語である。忘れかけた英語の復習も兼ねて、なんとかコミュニケーションを図っている。

 渋谷発信の日本版MySpaceは、出来てから2年しか経っていない。サーバー上の不具合も頻発するし、韓国のNaverという優れもののポータル・サイトに比べたら、かなり見劣りするけれど、My Spaceにはそれなりの面白みと味わいがあるので、当分続けるつもりだ。

 Gajamilaで検索すると、アドレスが出てくると思う。
 もし興味があるようでしたら、訪問してみて下さい。
 

2009/01/07

교보북로그

 2005년 2월부터 시작된 교보문고 북로그도 올해에 와서 4년 째가 된다.
 2005年2月から始めた教保文庫のブックログも今年で4年目になる。

 처음에는 북로그 말 그대로 서평을 조금 쓰고 있었는데 작년 2008년 부터 마이스토리를 자주 쓰게 되었다. 
 初めはブックログの名前通り書評を少し書いていたのだが、 昨年2008年からマイ・ストーリーをよく書くようになった。

 북로그에서 쓰는 유일한 일본 사람으로서 재미있게 활동하고 있다. 
 ブックログで書く唯一人の日本人として楽しく活動している。 

  자극적인 글도 많이 쓰고 코멘트도 엄청나게 붙여있게 되었다.  
 刺激的な文章もたくさん書き、コメントもかなりたくさんつくようになった。

  요새는 나도 모르게 토론도 많이 하게 돼서 특히 위서가라고 하는 남자(아마 남자지)랑 자주 활기 가득한 토론을 하고 있으니 다른 북로거한테서 어떻게 보이는지 좀 궁금하다. 
 最近は私も知らないうちに討論もよくやるようになり、特に偽書家(?)という男性(たぶん男性だ)と活気あふれる討論をしているので、ほかのブックロガーからどういう風にみられているか、 ちょっと気になる。 

 위서가님은 늘 자극적인 글 쓰셔서 때로는 놀라기도 하고 때로는 감복될 때도 있다. 
 偽書家氏はいつも刺激的な文章を書くので、時には驚きもするが、時には感服することもある。

  어떤 분인지 잘 모르겠으나 그 글을 보면 대충 어떤 사람인지 알 수가 있다. 
 どんな方なのかよくわからないが、その文章を見れば大体どんな人物かわかる。 

  재미있는 사고방식을 갖고 일본 여자인 나를 재미나게 해주신다고 생각한다. 
 面白い考え方の持ち主で日本女性である私を愉快にさせてくていると思う。

  앞으로 어떤 토론이 될지 모르겠지만 난 아주 많이 즐겁게 하려고 한다.
 今後、どんな討論になるかわからないが、私は楽しんでやろうと思う。

2009/01/03

cafeオープン

 ブログをやっているNaverで、カフェを開いた。というより、例のN社長に開いてもらった。彼がカフェのマネージャーである。

 カフェオープンの目的は、会員の親睦である。今、メンバーは15名。全員顔見知りである。Web上でクローズドのカフェを持つことにしたのは、私がしょっちゅう韓国に行けない代わりに、関係写真の掲載や、モイム(集まり)のお知らせをしたりできる、つまり親睦の拠点を設けたということだ。ゆくゆくは、STESSAのWeb公開を考えている。 

 12月30日に行った出版記念のモイムの写真も掲載した。もちろんこれはメンバーしか見ることができない。

 STESSAは、知日派、知韓派のための交流誌を目指している。定期刊行物でないところがネックになって、一般書店にはおいてもらえないが、それでもこの10年の間に口コミで少しずつ名前が浸透していった。創刊号はほとんどなくなった。今回の7号も、ソウルの日本文化院や、光化門にある韓日文化交流基金センターにもおいてもらうつもりなので、残部は思いの外少なくなるだろう。 

 今回は3年ぶりの発刊となったが、次号8号は今年の夏に作る予定だ。この調子で行くと、終刊号にあたる10号は、2010年あたりに出せるかもしれない。

 日本在住者でNaverに加入したい人はパスポートなど、身分証明書の写しをNaverに送れば(メールの添付文書でも可)、簡単に会員になれる。会員になったら、カフェのサイトでstessaを検索すれば、カフェのメンバーになれる。もしよかったらどうぞ。

2009/01/02

博士号ラッシュ

 今年は知り合いの何人かが博士号を正式に取得することになりそうだ。碩士論文(ソクサ=日本の修士論文に相当)がメモワールだとしたら、博士論文にはオリジナリティーが要求される。大学院進学率の高い韓国では、ソクサはざらにいるが、博士となると、やはり限定される。それでも最近は国内、留学組を問わず、博士があふれていて、研究職に就くのは至難の技だ。 

 昨日、晋州のジョンミさんから電話をもらった。昨年も新年の電話をもらい、とてもうれしかったことを覚えている。晋州時代に散々お世話になった、二児の母にして、博士課程在学生だった人だ。  

 「博士論文提出しました」との第一声。2009年の前期に論文を出す予定だと以前聞いていたので、びっくりした。審査も順調に進み、とうとう念願の博士号を取得する。彼女の勉強好きには以前から舌を巻いていたので、なるほどこういう人が学問の道をまい進するのだなあと思っていた。巨済島(コジェド)から晋州まで車で1時間半かけて通学していたが、運転もうまいし、家事もよくやるし、日本語の実力もあるしで、一種のスーパー・ウーマンだと思っていた。 

 「新学期から忙しくなるんでしょう?」と聞くと、「そうでもない。私、少し休みます」とのこと。当時、ソクサをとってから師範大学で日本語を教えていたが、博士を取っても、専門の日本史の分野で講義する話はまだないらしい。 円高の昨今、東京に来る予定はまだまだ先だと笑っていた。 

 雑誌創刊号のときから一緒に雑誌作りをしてきたS君。彼もつい先日博士論文を出した。審査もうまく通過するだろう。もう一人の知り合いSHさんは、2007年の2月に博士号を取得した。 

 彼らは皆30代後半から40代前半の世代だ。20代から30代にかけて修士、博士と進んでいく人たちに比べれば、一世代遅れて勉学に励むのは並大抵のことではない。学問的キャリアと生活の手段が一致する例はなかなかない。  

 それにしても私の周囲だけではなく、韓国には博士があふれている。USAやヨーロッパ、そして日本、中国で学位を取って帰国する人はもちろん、韓国国内でも学位取得者が多い。彼らがすべてすんなり大学や研究機関に籍をおければいいのだが、実態はかなり難しいらしい。

 科挙の伝統が21世紀になっても色濃く残っているという感じがする。そして何より問題なのは、文科系のうち、日本に関する研究者が優遇されていないという現実がある。各大学に日本学科がだいぶ増えてきたとはいえ、大学のチャリ(席)は限定されている。 

 ジョンミさんもS君もSHさんも、念願の博士論文を書き上げたのだから、一山越えて、さらに次の山を順調に目指していってほしい。ソクサで挫折した私としてはそんなこと言える資格もないが、自分の好きなことをさらに極めていけたら、どんなに素晴らしいことだろうかと思う。頭が下がる。