昨日、晋州のジョンミさんから電話をもらった。昨年も新年の電話をもらい、とてもうれしかったことを覚えている。晋州時代に散々お世話になった、二児の母にして、博士課程在学生だった人だ。
「博士論文提出しました」との第一声。2009年の前期に論文を出す予定だと以前聞いていたので、びっくりした。審査も順調に進み、とうとう念願の博士号を取得する。彼女の勉強好きには以前から舌を巻いていたので、なるほどこういう人が学問の道をまい進するのだなあと思っていた。巨済島(コジェド)から晋州まで車で1時間半かけて通学していたが、運転もうまいし、家事もよくやるし、日本語の実力もあるしで、一種のスーパー・ウーマンだと思っていた。
「新学期から忙しくなるんでしょう?」と聞くと、「そうでもない。私、少し休みます」とのこと。当時、ソクサをとってから師範大学で日本語を教えていたが、博士を取っても、専門の日本史の分野で講義する話はまだないらしい。 円高の昨今、東京に来る予定はまだまだ先だと笑っていた。
雑誌創刊号のときから一緒に雑誌作りをしてきたS君。彼もつい先日博士論文を出した。審査もうまく通過するだろう。もう一人の知り合いSHさんは、2007年の2月に博士号を取得した。
彼らは皆30代後半から40代前半の世代だ。20代から30代にかけて修士、博士と進んでいく人たちに比べれば、一世代遅れて勉学に励むのは並大抵のことではない。学問的キャリアと生活の手段が一致する例はなかなかない。
それにしても私の周囲だけではなく、韓国には博士があふれている。USAやヨーロッパ、そして日本、中国で学位を取って帰国する人はもちろん、韓国国内でも学位取得者が多い。彼らがすべてすんなり大学や研究機関に籍をおければいいのだが、実態はかなり難しいらしい。
科挙の伝統が21世紀になっても色濃く残っているという感じがする。そして何より問題なのは、文科系のうち、日本に関する研究者が優遇されていないという現実がある。各大学に日本学科がだいぶ増えてきたとはいえ、大学のチャリ(席)は限定されている。
ジョンミさんもS君もSHさんも、念願の博士論文を書き上げたのだから、一山越えて、さらに次の山を順調に目指していってほしい。ソクサで挫折した私としてはそんなこと言える資格もないが、自分の好きなことをさらに極めていけたら、どんなに素晴らしいことだろうかと思う。頭が下がる。
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