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2008/09/30

1年半ぶりにG君に会う。

 G君は写真家だ。読者が忘れてしまう頃に出している日韓交流誌の表紙をここのところ担当してもらっている。一昨年に東京に留学してきて、日本語学校に通いながら東京という都会の日常を撮り続けた。昨日久しぶりに会って、日本語で対応してみたらかなり日本語ができるようになっていた。読む、聞くはかなりのレベルだが、ソウルでは話す機会がないと言うので、話す力は他に比べると少し劣るかもしれない。それでも写真の専門的な話に花が咲いた。

 7月に写真を趣味にしているM君に会ったばかりだったので、なんだか今年はやけに東京で韓国人に会う年だなあと思った。そして11月には私も1年半ぶりにソウルへ行く。取材を3つこなさなければならないが、後は久しぶりに友人たちと旧交を温めてくるつもりだ。

 雑誌は年末年始に編集・印刷の予定だ。原稿もぼつぼつ集まり出した。約3年ぶりに出すことになるので、わくわくするが、印刷やデザインの指示などはすべて韓国語でやるので、その勘が戻るかどうか少々不安な所もある。慌てず騒がず、納得の行く号にしたい。

  11月はかなり寒くなっていることだろう。東京もソウルも秋が毎年短くなっていくような気がする。

2008/09/28

父の三回忌  

 今日、9月28日は父の三回忌だ。2006年に突然亡くなってから2年経つが、速かったような遅いような、なんとも形容のし難い2年だった。
 
 実は私は父の死に目に会えなかった。突然亡くなったのではなく、亡くなってから約半月後にその死を知らされたのだ。それも偶然に。亡くなる前に一度でも会って、ゆっくり話をしていたらどんなに良かっただろうと、この2年間、父を思い出すたびに私は泣いた。

  私は父にとって最初の娘だった。弟もそうだったが、私たちは本当に愛された。父はそれほど口数の多い人ではなかったが、ア ルコールが入ると上機嫌になって、私たちとスキン・シップを図った。ウイスキーの匂いも、ヘビー・スモーカーでやや黄ばんだ父の指も、今では懐かしくてたまらない。

 幼い頃は外で飲んできて、バーでもらったお土産の胡桃をいくつか持って帰ってきたものだ。父の指と同じようにいい飴色になった胡桃と、それを割って私たちに食べさせてくれた父の姿、そしてなんとも香ばしい胡桃の味。私はその夜のシーンを繰り返し繰り返し思い出したものだ。

 私は父親っ子だった。幼い頃から「父に似た娘」として、父の自慢の娘として大切に育ててもらった。甘やかされることは決してなかった。甘やかされることと、可愛がられることは全然違う。

 人生で何が大切なのかについて、私は父から学んだような気がする。仕事熱心な父の後姿を見て成長していったような気がする。そして結局父は私に死に顔を見せることなく、まるで象が仲間の誰にも知られずに静かに死に場所を求めて移動していくように亡くなってしまったのだ。

 父さん、私は父さんが大好きでした。そのことを一度も告げられなかったことが哀しいです。私の思いは天まで届くでしょうか。とにかく安らかに穏やかにそちらの世界で過ごして下さい。私があの世に行ったら、話の続きをしましょう。約束して下さいね。

2008/09/27

コンクリート建築

 私たちが暮らしているマンション、だいぶ年数が経って、見かけはともかく内部の配管などをチェックすれば、知らなきゃよかったという事実が少しずつ見えてくるのだ。  

 ?十年前の入居説明会での不動産屋の最初の一言。「この建物も60年後には瓦解します」。がかい? そう崩壊してしまうのだ。何も入居前に脅しを入れなくたっていいのにね~と、当時はそれでものんびり構えていたものだ。だって60年後よ。生きてるかどうかだってわからない、本当に遠い遠い未来の話だったのだもの。 

 ところがその瓦解年齢にだいぶ近づいてきたこの頃、冷静に考えてみるのだ。では、あの原宿や代官山の同潤会系のアパートはなぜしっかり残っているのか。あれは確か、大正時代、関東大震災の後、建設されたはずのもの。少なくとも85年は経っている、瓦解せずに。

  コンクリートに関しては、この間さまざまな問題点が指摘されてきて久しい。海砂を混ぜて作ったコンクリートのひび割れ問題に端を発し、コンクリート寿命70年説はそれこそ見事に崩壊し、思いの外その耐用年数は短いということだ。 
  
 ヨーロッパの諸都市に見える建造物はコンクリートなどというナマッチョロイ代物ではない。石だもの。部分的には大理石だったりするし。天然物がいかに優れ、人工物がいかに劣っているかという根源的な問題に改めて突き当たるのである。 

 幼い頃からアパート暮らしが長かったので、一戸建てに暮らす知恵も望みもないが、集合住宅を建て替える例は、日本ではまだまだ少ない。土地さえあれば、木造だろうがなんだろうが個人の意思で建て替えることができる。  

 アパート暮らしの悲哀を感じないでもないが、それでも私は一生アパート暮らしから足を洗えないだろうなあ。

2008/09/26

People Treeと Organic Cottonについて

 松本に、その昔、三六(さんろく)という呉服屋があった。家人の母が暮らしていた頃には呉服のほかに、洋服の仕立てや、仕立て直しをしてもらって、母はよくそこでスカートやスーツなどを作ってもらっていたらしい。今のように溢れんばかりの既製服が店頭に並んでいた時代ではなかったし、大量生産全盛の時代にはまだ間があった頃である。 
 
 松本の中心部にあるこの店は今は地元のデザイン・スクールの若者たちにそのスペースを提供して、在学生の作品から、卒業してブランドを立ち上げた新進デザイナーの作品まで陳列していて、中にはなかなか魅力的なスカートやパンツ、ジャケット、アクセサリーなども揃っている。値段もリーズナブルである。  

 学生たちの作品とは関係ないが、People Treeというブランドと、 Organic Cottonで出来たTシャツやカットソーのコーナーもある。下記のホーム・ページを是非覗いてみてほしい。ポイントは、海外現地で製作に当たる人々にきちんとした収入が保障されているというシステムである。そんなこと当たり前のことではないかと思うだろうが、いまだに世界の至る所で旧植民地的発想で、搾取が行われているという実態が再確認できる。 

 次のポイントは、オーガニック・コットン。綿栽培から製品化に至るまで、いかに大量の農薬が使われているかということに衝撃を受け、私は自分の無知を恥じた。それを着る人はもちろんのこと、綿花の栽培から携わっている人々に及ぼす残留農薬被害のことを考えると、暗澹たる思いにかられる。 http://www.peopletree.co.jp/ http://www.joca.gr.jp/

  とにかく自分の健康を自分で守りたい人や、搾取に憤りを感じる人はホーム・ページで確認して今後の参考にしてもらえれば、私としては満足である。よろしく。

2008/09/19

池田書店『しあわせ天然石』ハンディブック

 新書版で、値段は950円+消費税。中央宝石研究所監修、2008年1月刊である。誕生石から始まって聞いたこともないような天然石に至るまで、見開きまたは1ページにコンパクトに編集されている。  

 花言葉ならぬ石言葉が付いているほか、その石の由来、ギリシャ神話、ローマ時代のエピソードなど美しいカラー写真とともに見ているだけで、私は気分が落ち着く。天然石の基礎知識も簡潔に説明されていて、これ1冊で天然石の基本が身につくようになっている。 

 例えばダイヤモンド。モース硬度が10で、最も硬いとされているが、一定方向からの強い衝撃には弱く、注意を要するとのこと。色も無色以外に、赤、青、ピンク、緑、褐色などがある。そういえば、ある韓国ドラマに黄緑色のダイヤモンドを恋人のために用意する成金の話があったのを思い出した。かなり珍しいものらしく、もうそれだけで負担に思ってしまうのが女心である。 

 私が好きなのはラピスラズリだ。ツタンカーメンの黄金のマスクで有名だ。子供の時、上野の博物館で開催されたツタンカーメン展を見て以来とりこになったような気がする。この石は、知恵と洞察力、決断力を高めてくれ、持つ人を成功に導いてくれる力があるそうだ。また、嫉妬や邪念、不安などマイナス要因を遠ざけてくれる効果もあるとのこと。ソウルの仁寺洞(インサドン)で10年前に買い求めた銀の魚の形とラピスラズリの原石で出来たブレスレットはいまだに私のお守りの一つになっている。  

 何十万もするような高価な宝飾には興味ないが、高くても1万円前後の天然石であれば、私に癒しと勇気を与えてくれそうな気がする。これからもマメにこの本を見ながら知識を身につけ、自分にふさわしい天然石との出会いを楽しみにしたい。

2008/09/14

携帯電話

 明日は敬老の日なんだってね。いつから9月の第3月曜日になったのか、よく覚えていない。もしかしたら私が留学中にそういう法律が通ったのかもしれない。いずれにしてもいやになるほど三連休の多い国だわ。 
  
 松本から戻ったら、あまりに蒸し暑いので閉口している。あちらは朝夕は肌寒いほどで(窓を閉めて寝た)、昼間は湿度が低いせいか、陽射しは強くてもさわやかな秋晴れといった感じだった。いやあ~、東京はいつまでも暑いね。しつこいね。  

 この写真はauの代理店(都内某所)で撮ったもの。敬老の日にちなんで祖父母に携帯をプレゼントしようという趣旨。高齢者に携帯を贈るというのは、けっこう面倒なことが待ち受けているのだ。安売り電話機を売る店には、丁寧な説明はあまり期待できない。

  電話を買ってからは、なおさらだ。アフター・ケアーは望めそうで望めない。簡単機能を謳っていても、カメラはもちろんのこと、やたら複雑な機能がどうしても付いてきてしまう。 

 私の母も携帯を買ってから2年以上過ぎたのだが、相変わらずカメラ機能は使わず、今年になって、ようやくCメールのやり取りができるようになった。もちろんこちらから電話をすればちゃんと出てくるようになったし、彼女が思いついたときにはいつでも電話してくるようになった。留守番機能のメッセージもちゃんと聴き取れる。 

 ところが、時々、「呼び出し音が知らないうちにメロディーから振動に変わったのよ。どうしちゃったのかしら」とか、こちらがCメールを送ると、「今、電話くれた?」などとタワケタことを言って電話をかけてきたりする。要するに、Cメール、通話の呼び出し設定を自分のものにしていないということなのだ。手取り足取り教えるべきなのだが、そんな時間的、精神的余裕はこちらにはない。相手が見ず知らずの高齢者であれば、無条件に親切にしてさしあげたくなるのに、わが母となると、イライラが募るのみで、結局は自己嫌悪に陥るだけだ。  

 携帯は自分の都合でかけたり、思いついたときに自由にメールを送ったりできるからいい。着信履歴が残るからモレもないし、普通にうまく使いこなせば、これほど便利な道具はない。ところが、母の携帯ときたら、時と場合によってはこちらのストレスにもなり得る。困ったもんだ。 

 「近所のauの人に聞いてみて」。私は電話のこちら側で少々イライラしながら、母に言うのだ。でもまあ、Cメールを打てるようになったのだから上等かも。家人の母は、ただ持っているだけで、着信も発信もしないまま充電だけはマメにしていたものだから、とうとうこわれちゃったそうだ。充電ひとつとっても、わかりやすくて適切な説明を求めても、携帯電話関連の会社には期待できそうにない。 

 auにしても、DOCOMOにしても、KDDIもNTTも、超高齢化社会で生き延びて行こうという企業としての意欲に欠けているのではないか。ほんと、つくづくそう思う、敬老の日イブでした。

2008/09/10

短気は損気と言うけれど。

 私は基本的に短気だ。ただし、「待つ」のはそれほど苦にならない。「待たす」のは、ストレスになるけど。 

 短気というのは私の場合こういうことだ。相手に誠意が感じられなかったり、頭がそれほど良くないのにそのことを自覚していない相手だったり、いわゆるお役所仕事に対して、めっぽう腹が立つのである。  

 今朝も腹を立てた。私が暮らす東京都某区の区役所に、放置自転車のことで電話をしたら、 「あ、その道路の管轄はうちの区ではなくて、東京都なんです。恐れ入りますが、都の方に電話していただけますか」だって。  

 電話しないよ。今、私から詳しく話を聞いていたはずの「あなた」が直接東京都の道路なんとかにお電話なさったらよろしいんじゃないかしら?と、かなり怒りを抑えながら言ったのだ。相手はその微妙なな嫌味にも気づく感性の持ち主であるはずもなく、ひたすら「管轄が違う」と言い張る。私も負けてはいない。  

 「そうやって、たらい回しすんじゃないわよ」(いつのまにか、けんか腰)。 「お宅から直接今の話を都に伝えられない事情があるなら、説明していただきたいわ」。 

 相手曰く「都の方から細かいことを聞かれた場合、お客様のように詳しくは説明できないからです。前もって見ているわけではないですからね」  

 「見に来い」と言ったところで、管轄の異なる通りまで視察に来るわけでもなし。 「とにかく、今こうしてお伝えたしたことが事実のすべてなのです」 

 ということで、東京都にはこのアジョシが「電話してみることにします」と、まるで「清水の舞台から飛び降りる」ような決心をして、私の怒りに対処したのである。何かあった場合のことを考えて、私の連絡先と名前を教えてくれと言うので、それには従った。 

 何よりも腹が立つのは、放置自転車である。近所に駐輪所がいくつもあるのに、狭い歩道をさらに狭くして、車道側のガードレールに寄っかからせて横並びにずらっと並べているのだ。数えてる暇なぞなかったが、30台以上はあった。駅前の放置自転車がようやく解決してきた矢先のこの暴挙。自分勝手な日本人が増えたね。まったく。

2008/09/09

5年ぶりにチングに会う。

 高校時代の友人に会った。なんと5年ぶりだ。5年。私たちの年代ではかなり長い時間感覚だ。5年後は。。。年齢は秘密にしておこう。自分のためだ。

 5年前、韓国の地方都市にある某国立大学の大学院(国文科:韓国現代詩専攻)に正式入学が決まった頃、横浜で会ってワインで前途を祝ってくれたチング(親旧:韓国語で友だちの意味)だ。この間、私は夢のような学生生活を2年ちょっと送り、彼女は契約社員として楽しく働き、帰国後3年も経ったというのに、今日、ようやく会えた。夏のような陽気で、横浜の海に近いせいか、陽射しが痛いほどだ。

 それでも9月だ。季節外れの半ズボンを安く買うことができた。値段の割りに品質がよかった。吊り紐がついているのを見て、彼女が「あなた、まさかそれはやらないでしょうね」。

 自宅に戻り、私は嬉々として吊り紐をかけ、鏡の前でニヤリとしたのだ。家人は呆れるかと思いきや、「自宅で着ているだけなら、紐あった方がいいね」とのたまった。さすがに外出するときは紐なしだけど。

 5年も会っていないと積もる話も消化しきれず積もりっぱなしだ。二人とも終始笑ってばかりいた。横浜まで来てくれたんだからと、お昼は彼女の奢りだった。次回は私が代官山あたりを案内するねということに。これって韓国式なのだ。いちいち割り勘にして、これで二人の関係はその都度精算されますといわんばかりのダッチ・ペイ、どうも苦手になってきた。

 この方式のポイントは一つだけ。記憶力だ。前回は相手が払ったから今回は私が払うという程度の記憶力。こうしてエンドレスの関係が続いていくのである。韓国にいたとき、この方式がくずれたことはただの一度もない。記憶力というより、韓国人は義理堅いのだ。奢りに群がるなどというセコイことはしない。そこが私は好きなのだ。

 ということで、高校時代はすっかり過去のものとして化石化していくばかりだが、彼女との付き合いはエンドレスになるような気がする。

2008/09/08

ブラック・フォーマルそして「クローバー」

 先日、久しぶりに新宿の伊勢丹に行った。ブラック・フォーマルの下見のためだ。9号サイズのワンピースとジャケットのアンサンブルがあるのだが、袖を通したら、きつくて着ていられなくなった。同じ9号でも小さめの9号に違いないと思いたいところだが、バスト、ウエストなどのヌード寸法を測ると、どう見ても11号サイズに変貌したと考えるしかない。

 伊勢丹は婦人服が充実しているという噂通り、ブラック・フォーマル・コーナーも品揃えは豊富だった。しかし、「帯に短し、たすきに長し」だったのだ。ワンピースが素敵だと、ジャケットがダサいとか、その逆もあった。森英恵デザインのものは、ジャケット、スカート、ブラウスのスリーピースが組み合わせ自由で良さそうに思えたのだが、その組み合わせは思ったより種類が少なかった。

 着たり脱いだりですっかり疲れたので、同じ階の「クローバー」というカフェに入った。商品券が1枚余っていたので、そこでカフェ・オレをゆったりとした気分で飲んだ。六本木にある本店は、1931年オープンだというから、今年で77年を迎える。写真はカフェ・オレのカップと、シュガーポット。

 フォーマル・ドレスは10月に入れば、3シーズンのものがどっと入ってくるらしい。また出直してみることにした。

2008/09/04

岡本太郎が見た韓国 1964・1977 川崎市岡本太郎美術館

 9月28日まで、川崎市の岡本太郎美術館(小田急線向丘遊園駅より徒歩20分ぐらい)で「岡本太郎が見た韓国 1964・1977」が開催されている。昨日、行ってきたが、お薦めである。まず、場所がいい。生田の森の緑に目が休まり、同じ敷地に日本民家園があって、100円X25枚分、2000円の回数券を買えば、日を改めて何度でも訪れることができる(1000円の回数券もあり)。 

 美術館は入場料700円。館内に入る前に右手横に敷設された洒落たカフェで簡単な食事をとった。ガラス張りのカウンターに家人と腰掛けて外を眺めると、岡本作の牛の角を模したモニュメントが水に浮かんで残暑の中、光り輝いていた。メタセコイアなのか、木肌の赤い木を見上げると、首が痛くなるほど天に向かってまっすぐ伸びている。 

 館内の照明も効果的に使われている。私は岡本の絵画自体はあまり好きではないが、2006年に東京都写真美術館で行われた、岡本の見た東北というイベントに接して、彼の写真、文章の才能に驚いたことがあったので、今回も常設展より「韓国」に期待を寄せていたのである。  彼の見た「韓国」は1964年と1977年のそれぞれ1週間ほどの旅程の中で、岡本が初めて訪れた韓国を身体で感じ取ったすべてを記録したものである。凡人が行く旅行とはさすがに違う。人が感じないことを感じ、人が見ないものを見て、その後も岡本自身のものの考え方に長く影響を及ぼすことになるのだ。特にシャーマンについての見識は優れている。朝鮮半島全土にわたってみられるシャーマン(巫女)の儀式(クッ)が地方毎に多様であることに、岡本は着目し、私自身も今更のように驚かされたのである。 

 岡本は何度も書いている。 「韓国は北ユーラシア大陸から直接何かをもらっている。李氏朝鮮時代、中国からの影響が強いといっても、それだけには終わっていない。その大らかさ、色彩、遊び心など、カチッと決まった中国には見られない韓国独特のものが感じられる」  岡本は芸術家であり、文筆家であり、そして何より、欲深な人間であると自認している。その優れた感受性は芸術家というより優れたジャーナリストだったのではないかと思わせるものがある。 

 さあ、また生田の森を訪れよう。森に接するだけで頭の中のモヤモヤがスキーッとしてくるような気がするからだ。

2008/09/01

MBCドラマ 視聴者意見

 いったん涼しくなったのに、秋雨前線が停滞してまたもや蒸し暑い日が続いている。夕べも雨がけっこう降って、CS放送のドラマ「糟糠の妻クラブ」(SBSの「조강지처 클럽」)が見られなかった。CS放送はめっぽう雨に弱い。雷雨ならいざ知らず、あの程度の雨で放送中止になるなんて困ったもんだ。対策はないのだろうか。再放送があるからまだよしとしても、天候が直接放送の有無を決定するなんて、ちょっと原始的過ぎやしないか。 

 もっとも、このドラマ、最近ダレ気味である。16回くらいのミニ・シリーズか、せめて20回くらいの長さだと、内容も引き締まるように思うのだが、脚本家、スポンサー、そして視聴者(主にアジュモニたち)の三位一体で、ちょっと人気が出たとたんに、筋の運びにメリハリがなくなり、単にだらだらと続いて、結局は悪評のうちに終了してしまうドラマが跡を絶たない。 

 最近の代表格は「悪い女、良い女」(「나쁜 여자, 착한 여자」韓国では2007年7月初めまで約半年、140回続いた夜の連続ドラマ일일연속)である。최진실の人気にあやかったキャスティングなのは見え見えなのだが、착한 여자だった 최진실 が性悪女になったり、나쁜 여자 の設定だった不倫女が妙に恵まれた環境の下、最後は呆気にとられるほど幸福になっていくという、どう考えても納得のいかないエンディングを迎えた。 

 MBCのホーム・ページ視聴者意見の欄を見ても、「このドラマで言いたいことは何なのか?」「不倫女があのように金持ちの父に支えられながら、結婚後、6年間もの間、유부남(妻ある男)と付き合っていたというのは許せない」「최진실があまりにも可哀想だ。あそこまで夫に尽くして、なさぬ仲の娘を可愛がって、しかも認知症の祖母(姑の姑)の面倒も見るなんて、脚本家は一体何を考えているのか」といった比較的穏やかな意見から、視聴者どうしの罵詈雑言に至るまで、ドラマよりずっと面白い展開がこのコーナーで楽しめた。 

 それにしても、不評のドラマにしては随分熱心にこのドラマに嵌っているアジュモニたちの様子が見て取れ、なんだ、結局、視聴率上げているんじゃないのと、彼女たちの(ほとんどが中年のアジュモニ)連続ドラマに対する病的ともいえる情熱にただただ圧倒されていた。 

 悪評のうちに終わったこのドラマの後続が「アヒョン洞の奥様」(아현동의 마님)なのだが、これもなんと204回まで続いて(週5回だから41週、つまり10カ月以上の長丁場)、今年の5月初めにやはり不評のうちに終了した。日本では今、90回目ぐらいなのだが、일일연속 드라마は見始めるとやはり続きが気になるものだ。脚本家がそれだけうまいということなのだろうか。くだらないと思いつつ、念のためにビデオにとって私は見ているのだ。

 このドラマに関しては、そのうち詳しく触れることにするが、脚本家の実体験、つまり、12歳年下の男(新任検事)と結婚した(なんとも羨ましい)ベテラン女性検事の、結婚に至るまでの両家にまつわるすったもんだ、プラス結婚後のすったもんだ、これがこのドラマの大方の筋である。