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2009/07/31

輪島漆塗り

 母が彫った鎌倉彫の手鏡を漆塗りに出していた。昨年の11月に信濃町の漆塗り専門店に持って行ったら、半年はかかりますよと言われた。輪島の漆塗り職人も数が減っている。 

 予定よりだいぶ遅れて「仕上がりました。いい出来です」と葉書が来た。昨日、早速取りに行く。 

 思った以上の仕上がりだ。今は黒漆が勝っているが、使い込むうちに赤漆も出てきて、いい色合いになっていくと言う話だ。乾燥は禁物。天袋など、高い所に入れて保存するのは避けて下さいねと念を押された。 

 japanと言われる漆の技術。高温多湿の土壌で育った世界に誇る技術だ。

2009/07/29

洗濯物は溜まるし

 東京は梅雨明け宣言してからだいぶ経つというのに、雨が降ったり止んだりの曇り空が続いて洗濯物は溜まる一方。3,4日に一度の晴れ間を利用して洗濯しても、その量は半端じゃない。カラッと乾かなくて、いつまでも重たいまんま。なんだかね、この天気。 

 天気図を見ると、朝鮮半島から日本列島にかけて梅雨前線が太くたなびいている。西日本も韓国も集中豪雨による被害がこれまた半端じゃない。亜熱帯地方が雨季に入ったような感じもする。雨季の亜熱帯には行ったことないけど、水上生活する人々の群れを思い浮かべてしまう。 

 これで前線が北上したら、一気に熱帯の日々に突入するのかね。なんだかね。お米の出来も気になるしね。

2009/07/23

神話の国から戻ってきた

 松江、出雲、浜田という島根の町から戻ってきた。飛行機に乗って1時間5分。日本列島をまたいで日本海を見てきた。出雲の神話と出雲風土記、そして日蝕と集中豪雨による被害が一辺に頭上を掠めて去っていったという感じ。不思議の国出雲についてはまた別のところで書きたい。  

 それにしても浜田ののどくろという刺身の美味しかったこと! 地を這っていく距離感から言うと、飛行機でひとっ飛びの沖縄より遠いかもしれない。次にこの魚に会えるのは一体いつのことになるだろうか。

2009/07/18

日本語能力試験2級 

 7月5日の日曜日に行われた日本語能力試験。その2級に知り合いが合格した。昔、その試験問題を見たことがあるが、日本人でも答えるのがむずかしそうな難問が並んでいた。試験嫌いの私としては、生涯お目にかかりたくない試験(もちろん私が日本語を受ける機会は幸いなことにないが)だなあと思った。

 彼女に昨年末ソウルで会ったとき、1級を是非とも受けたいと張り切っていたが、学院の講師から、もう少し我慢してまずは2級を受けるようにと言われていたそうだ。確実に進んだ方がいいタイプなので、さすがに学院の講師はよく見ているなと思った。2級に受かったという報告メールをもらって、本当にうれしかった。来年1級を受ける前に、もう一度韓国のどこかで会いたい。

2009/07/16

児童虐待

 児童虐待の連鎖は断ち切れるのだろうか。例えば、マイケル・ジャクソン。実父から虐待を受けていたことは有名で、自らも自分の子供に虐待を加えていたという容疑がある。虐待を受けた幼児は、障害そのトラウマから抜け出せないで、自分が受けたと同じように自分の子供を同じ運命にしてしまうと聞いた。絶望するしかないのだろうか。何か抜け出す道はないものかと考えてしまう。  

 やはり人は、育てられたようにしか自分の子供を育てられないのかもしれない。生理的早産といい、なんと厄介な代物なんだろうか、人間という存在とは。

2009/07/14

水浸しのアパート

 天気図を見ていると、梅雨前線が朝鮮半島を濃く覆っているのがよくわかる。梅雨の末期的症状と言ったらいいのか、この時期、豪雨が集中する。 

 知り合いは京畿道の某市に暮らしているが、チョンセの価格高騰のせいで、半地下に暮らしている。週末の集中豪雨で部屋が水浸しになったとメールで書いてきた。メールを書けるくらいには復旧したと思われるが、日曜日は一日中水出しと清掃に追われたと泣いていた。 

 このところ、漢江の水位が高いままだ。中州は水に覆われてしまい、あるサイトの情報によるとセブンイレブンが一夜のうちになくなってしまったとか(トレーラー式の移動店だったのか)。  

 11年前も漢江が警戒水域に達したことがあったっけ。これは自然の復讐によるもののように思えてならない。開発、開発のつけが何年にも渡って回ってきたのだ。異常気象を作ったのも人間だということを人は忘れている。

2009/07/13

コンピューターのせいで仕事ができない人が増えた?

 大体どこも蛸壺式なのよね。全体を見回して、今どの位置にどういう風に存在するのかという基本的なことすらわかっちゃいない輩が増えた。問い合わせの電話だって、一つの部署どころか、一つの部門の一つの項目別に分かれていて、それ以外の質問(関連質問でさえ)をすると、対応できなくて、折り返し電話します。となる。

 折り返し電話ほどかったるい代物はない。こっちだって必要があって電話してるわけで、それをまた折り返しやられた日には要件が死んでしまう。全体を見回すコンピューターでも出現すれば、一人や二人また首切られてもしょうがないね。でも本当に必要なのは心ある人間の対応なんだけどね。

2009/07/12

Bag

 私はバッグに目がない。ショルダー、トート型、ボストン、ビジネスバッグ、リュックサックに至るまで、新しいデザインを見つけては、自分に似合うかどうか鏡の前に提げて立ってみないと気がすまない。もちろん、実際に買うのは何年に一度、気に入ったデザインの中のほんの一部に過ぎない。 

 学生時代、ある私鉄沿線の駅ビルにずっと飾ってあったバッグがあった。高価なものだったので、なかなか買い手が現れず、ずっとウィンドウーに飾ってあった。デザイン、機能性は申し分なく、値の張るものでなければ買っていたのにと、今でもそのバッグのことが思い出される。 

 週2回の家庭教師ではとても払いきれる値段ではなく、向こう何ヶ月も教えなければ手にすることのできないそのバッグを見るたびにため息をついていた。早く大学を卒業して、早く一人前に稼いで、自分の納得のいくものを月に一つでも買えるような身分になりたいと、そのことばかりを考えていた。 

 今でもその人の身の丈にあった装飾品とは思えないものを身に着けている女性を見ると、哀れな感じがするのはどうしてだろうか。それはたぶん、身の程を知らないというそのことに対する憐憫の情を催すからかもしれない。黄色い肌に黒い髪の女性にはルイ・ヴィトンは似合わない。八頭身に合わせてデザインされたであろうカバンに引きずられるようにして持ち歩いているつもりなのも見苦しい。

2009/07/10

Taxi

  日本は交通費がやたら高いということで名が知れている。韓国と日本を行ったり来たりしていると、日本の電車、バス、そしてタクシーの殺人的な値段に絶望してしまうほどである。もちろんソウルの交通費はこの12年の間に約2倍から3倍に跳ね上がった。それでも東京のそれと比較すると、比較する必要のないほど、安く、それはもしかすると基本的人権の侵害にも及ぶ話になるかもしれないほどである。  

 ソウルでタクシーに乗るとする。5,000ウォンあれば、目的地に悠々着く。日本円にして約400円足らず。地下鉄の複雑な乗り換えを考えると、2人以上であればいかに安くつくかわかるだろう。地下鉄を厭わなければ一人900ウォン×2=1,800ウォン。これは日本円で二人分150円にも満たない。 

 先日ソウルで会った知り合いの韓国人に言われた。日本でもめている年金問題についてもよく知っている彼が、「よく暴動が起きないですね。韓国だったら考えられない。どうしてそんなにおとなしいんですか? 日本人って」私は言葉もなかった。 

 自分の生存権が脅かされ、日々の馬鹿高い交通費(移動の自由の侵害)にもなんの文句も言わずにひたすらおとなしく生活している日本人って何? 彼が気味悪がるのもしょうがないかもね。

2009/07/06

貴金属を売りに出す。

 昨年の夏、売りに出していたフェンディのサングラスが思いの外高値で売れた。ケースも保証書もあったから、ちょっと前のモデルでも、私にはいいお小遣いになった。コンタクトレンズをやめて、眼鏡に変えたものだから、度のないサングラスの処分に困ったあげく、某リサイクルショップに出品したのだ。  

 すっかり気をよくしたので、いらない貴金属をまとめてその店に持っていった。質屋に持っていくということも考えたが、お金に困っているわけでもないし、最初から使ってくれる人の手に渡るのも悪くないと思い、件の店に出した。

 目利きの聞く担当者が言うには、随分値の張る高価なものばかりだとのこと。デザインも品がいいそうだ。私が買ったものではないし、ネックレスをすれば肩が凝るし、指輪ははめたとたんに外したくなるしで、思い切って持ち込んだ。ただし、実際に買ってくれる人が現れるかどうかはしばらく様子を見ないとわからない。

 それにしても、これらの宝飾品を私に譲ってくれた人は、随分贅沢な人だったということが今さらながらわかった。私も最近、手ごろな値段の癒し系天然石に興味を持ち始めたので、宝飾品の類に全く興味がないわけではない。既にもらっていたいくつかのものも、私好みのデザインにリフォームして身に着けることだってある。 

 でも、持ち重りのする大きなタイプにはほとんど関心がもてない。ほんの小さなものを何気なく着けるのが好きだし、別にダイヤモンドやルビーのような高価なものでなくとも、気に入ったものであれば価値のないものでも大切にしたいと思っている。 

 たとえ何千円のものであっても、買う段になると、私は実に慎重に考えた上で買う。1万円だろうが、数千円だろうが、それだけのお金を稼ぐのがどんなに困難なことであるか、痛いほどよく知っているからである。

2009/07/05

生まれ育った家が今でもある人

 生まれてから、何回転居したかわからない。赤ん坊の時代に少なくとも2回、幼稚園は3回、小学校は4回変わった。高校に入って1回、結婚して2回、都合12回になる。生まれた家は、確か間借りだと聞いた。12回のうち一戸建ては2軒だけ。そのうちの1軒は隣家のドジな主婦のせいで全焼した。持ち家でなかったからよかったようなものの、住む家はいつも仮住まいだった。  

 知人の中にたまにいるよね。生まれて育った家に今も住み続けている人、結婚して出たけど、今もその家が存在する人って。私からすると、まるで宇宙人のように思える。根無し草の私から見ると、いつでも帰っていく家があるってこと、うらやましいような、かったるいような。  

 プラス思考で考えれば、私は世界のどこに行っても適応できるような気がする。根っこがないからタンポポの種のようにフワフワとどこにでも飛んで行って、そこに落ち着くことができるような気がする。根っこのない気安さ、身軽さしか知らないから、安定した住まいという喜びにも関心がない。  

 繊細な感受性と、どこに行っても暮らせるたくましさとの両方を兼ね備えているとしたら、こんなに強いことはないんじゃないか。人は財産でも持ち家でも、あるからそれに固執する。なんて愚かしいことなんだろう。裸で生まれて裸で死んでゆくのにね。

2009/07/03

車の登場で人は堕落した。

 昔はどこへ行くにも歩いていた。Walkingが趣味の私として実感することは、人は歩かないと退化していくばかりだということ。足だけではなく、直結している脳も退化する。
 
 選挙目当てなのか、高速道路料金が安くなった。この不況でも、なぜかマイカーの数は減らない。マイカーを持つ気も持つ予定もないからどうもわからないのだが、マイカーの維持費ってけっこうかかるのではないか。税金、駐車場料金、ガソリン代、その他諸々を併せると、年間どれほどの負担になるのだろうか。  

 子育てのときは車が必須アイテムだと主張する輩がいる。バスだって地下鉄だって走っている。子供が一人だろうが二人だろうが、ゆっくり時間をかけて公共の乗り物に乗せたらいいじゃない。一辺にマイカーで行こうというその根性が安易で浅はかだ。そういう効率最優先の考え方がそのまま子育てに反映し、いつも先へ急げ急げとなる。子供の時代は長いよ。ゆっくりやればいいじゃない。何を他所様の目を気にするのか。 

 年に1度しか顔を出さない親戚の者がこう言う。「家族4人で電車に乗っていくと、交通費がすごいんですよ」首都圏の話である。それも年1回きりでしょうが。そのために二酸化炭素を排出しながら危険なドライブをするわけだね。それ以上にその肥満、車にばかり乗ってるからそうなったとばかりも言えないけど、もうちょっと歩いたらどうなの?と私は言いたいが、年に1回では言う暇もありゃしない。 

 コードの違う人とは話をしないことにしてから、随分経つな。