このブログを検索

2020/12/09

愛の不時着

  何年ぶりにヒョンビンのドラマを見ただろうか。『私の名前はキム・サムスン』以来か。すっかり中年のアジョシになっていたが、ぱっと見にはあまり変わっていなかった。

 北朝鮮の人々がうまく脚色されていて、このドラマのコメディー化に成功している。脱北者からの取材を元にしているようだが、北朝鮮の日常生活は多少オーバーに描かれているように見える。村の女たちのコミカルな会話、ヒョンビンの許嫁(いいなずけ)の母親のいささかオーバーな演技、ヒョンビンを囲む4人の軍人グループの素朴さ、そして自信たっぷりで気の強いヒロインの勘違いが織りなす愛と勇気の物語は、見るものを飽きさせることがない。

 ちょっと風変わりで自己中だけど憎めないヒロインに振り回されながら、命をかけて彼女を守り抜くという立場は、『アイルランド』でも『私の名前はキム・サムスン』でも共通している。ヒョンビンの魅力は相手役の女優によって引き出される。ヒロインにいつとはなしに惹かれていくヒョンビンは、雄々しく彼女のために戦うのである。

 ヒョンビンとピアノの組み合わせも目新しいものではない。『私の名前はキム・サムスン』でも「Over the Rainbow」をたどたどしく弾く場面が印象的だった。『愛の不時着』では、スイスに留学してピアノ・コンクールで優勝するという設定だ。

 兄を事故あるいは事件で失っているというのも、『私の名前はキム・サムスン』と同じである。不条理な兄の死に傷ついてトラウマを抱えながら、兄を死に至らしめた敵役と対峙していく。『愛の不時着』では、この敵役が最後までターミネーターのようにヒョンビンを追いかけてくる。正義のヒョンビンと悪徳の軍人との対戦も見どころのひとつだ。

 ただ、ひとつだけ納得がいかないのは、南北朝鮮の間に掘られたトンネルのこと。実際は北朝鮮が造ったものらしいが、ドラマでは日帝時代、つまり植民地時代に日本が掘ったことになっている。なぜ史実と違う話にするのか、よくわからない。朝鮮が南北に分断されたことの背景に、植民地にされていた歴史が重くのしかかっていることはあると思うが、ここで日帝を持ち出してくる意味があるのだろうか。

 久しぶりのヒョンビンを見て、彼の役柄の限界ということも考えた。ワン・パターンと言ってよいものか、マンネリズムと言うべきか。彼には本当の悪役は出来ないだろうと思う。マンネリでもいいか。彼はいくつになっても、正義感の強い、イケメン・ヒーローなのだから。