学生時代、ある私鉄沿線の駅ビルにずっと飾ってあったバッグがあった。高価なものだったので、なかなか買い手が現れず、ずっとウィンドウーに飾ってあった。デザイン、機能性は申し分なく、値の張るものでなければ買っていたのにと、今でもそのバッグのことが思い出される。
週2回の家庭教師ではとても払いきれる値段ではなく、向こう何ヶ月も教えなければ手にすることのできないそのバッグを見るたびにため息をついていた。早く大学を卒業して、早く一人前に稼いで、自分の納得のいくものを月に一つでも買えるような身分になりたいと、そのことばかりを考えていた。
今でもその人の身の丈にあった装飾品とは思えないものを身に着けている女性を見ると、哀れな感じがするのはどうしてだろうか。それはたぶん、身の程を知らないというそのことに対する憐憫の情を催すからかもしれない。黄色い肌に黒い髪の女性にはルイ・ヴィトンは似合わない。八頭身に合わせてデザインされたであろうカバンに引きずられるようにして持ち歩いているつもりなのも見苦しい。
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