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2009/02/08

沖縄を見れば、日本が見えてくる。

 沖縄を見れば、日本が見えてくる。でも、日本を見ても、沖縄は見えてこない。我ながら名言だと思った。  

 沖縄2日目。午前中は県立博物館見学。午後は首里城見学。県立博物館は2007年に新しく建てられたもの。入館者64万人を越えたそうだ。建物のデザインも斬新で、常設展の展示物も工夫が見られ、ここに来れば、沖縄の歴史と文化が手に取るようにわかる。CG映像のおかげで、各時代の変遷や文物が具体的に眼前に繰り広げられるので、複雑な沖縄の歴史が本当にわかりやすく頭に入ってくる。沖縄入門者にはもってこいの施設だ。  

 沖縄の歴史を眺めると、それはそのまま日本の歴史である。表舞台ではなく、裏舞台、負の遺産というか、とにかく日本による沖縄搾取の歴史と言えばわかりやすいだろうか。 
 
 沖縄の悲劇とよく言われるが、その悲劇性は、日本への同化政策がもたらしたものだ。琉球王国のアイデンティティーは時代を追うごとに消えていき、その代わりに日本=大和に同化させられていった歴史の残酷さを目の当たりにして、私は衝撃を受けた。それはそのまま日本の朝鮮植民地化の歴史とも重なる。 

 そうなのだ。沖縄、いや琉球王国は過去から現在に至るまで継続して日本の植民地化の歴史を辿ってきたということなのだ。14世紀から16世紀にかけて隆盛を誇った東シナ海における中継貿易の覇者として、またもう一方の顔では、中国(明)に対する忠誠の限りを尽くした朝貢貿易の実践。 琉球王国の存在は王国の生き残りを賭けた海の物語である。

  ところが、秀吉による日本統一以後、琉球に変化が現れた。薩摩による圧力である。東シナ海での貿易立国として華々しく活躍していた琉球に対して、「おいしいとこ取り」を要求されたのだ。貿易のノウハウを強引に教えろ、貿易の主体を薩摩に譲れということだ。で、薩摩に戦争を仕掛けられ、琉球王国は衰亡する。自衛手段は持っていても、日本のように実戦経験がなかったから琉球はいとも簡単に薩摩の横暴の下に落ちてしまうのだ。

  秀吉という人物がいなかったら、日本の歴史も変わっただろう。信長が暗殺されなかったら、ずいぶんマシな歴史を辿ったのではないかと時々考えていたが、歴史にifはないからしょうがない。秀吉が周辺諸国に与えた影響というか被害は甚大なものだったということだ。年老いてから若い女に狂い、子供まで設けて、さらに親ばかの限りを尽くして、日本の進路を誤ったという感じがしてしょうがない。これは老害だね。老害+親ばかという図式は最悪路線だ。

  沖縄を見ると、日本の侵略路線がよーく見えてくる。そう言う意味では沖縄と韓国・朝鮮は同じ図式の犠牲者ということで共通している。明るい気分になれない。街行く人々が明るい陽光のわりに表情が暗く見えるのは、こちらの思い込みも多少あるかもしれないが、搾取され、奪われ続けてきた人々の恨み、哀しみが彼らに綿々と息づいているように思えてしょうがない。  

 知らないということは罪である。日本にいたまま文部省の教育を受けていたのでは、なあんにも知らずに大人になるだけだ。学校教育というものにハナから懐疑的な私としては、ひたすら腹が立つだけだ。教育よりも教養だ。教養は学校では身につかない。自分で身につける努力をするしかない。

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