父の日の記憶はさしてなくても、母の日の思い出は誰でもあるのではないだろうか。アメリカから来たこの習慣だが、赤いカーネーションを贈る。母のいない人は白いカーネーションだった。
私たちも、母とシオモニ(姑)に小さなプレゼントを用意して、子供の日に、練馬のイタリアンでお昼を食べた。そのレストランは裏に大きな畑を持っている。そこで取れ立ての野菜を使っておいしい食事を出す。母もシオモニも喜んでいた。
5月8日の晩、韓国から電話が入った。ソウルの自称息子(オリンワンジャ)からだった。「週末に電話しようと思ったんだけど、プチョニムオシンナル(お釈迦様の誕生日)で、故郷に戻って、家族で山寺に行ったんだよ。従兄弟の子供を負ぶって山に登ったものだから、疲れて電話できなかった。それで今日、オボイナルまで待って電話したんだ」
うれしかった。オボイナルに私を思い出してくれたなんて。
「本当のお母さんには電話したの?」と聞くと、「したよ。土曜日にはお小遣いもあげた」と、ボソッと言う。孝行息子だね。お父さんはとっくに亡くなっているということをこの日初めて知った。
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