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2009/03/03

この12年。

 昨日はつかの間の晴れ間だった。風が冷たいのに、光が妙に明るすぎて「春は名のみの風の寒さよ」という歌の通りだなあと思った。春の不安定な陽気がどうしても好きになれない。かと言って、安定した気圧を望むと、それはすなわち太平洋高気圧の天下だ。苦手な夏が来ることは、まだ考えないようにしている。

 今週はずっと天気が悪い。今日の午後には雪が降るという。沖縄の陽光を浴び、仙台の雪雲を見上げ、東京に戻ると、ずーっと寒く暗い天候が続いている。こんなときはたまった紙類の処分をしよう。BGMはやはり沖縄音楽だ。気分だけでも南の島。

 ふいに思い出す時がある。ソウル滞在時代お世話になったアパートの警備員のアジョシのことだ。彼らとは当時会って以来、会うこともなくなった。どこかで生きているだろうとは思うが、この経済恐慌の中、どこでどうしているだろう。 

 友人や知り合いとは携帯やメールアドレスがあるからいつでも接触できる。でも彼らとは連絡の手段もない。実は毎日の生活で彼らほど世話になった人たちはいないのだ。言葉も碌にできなかった私たちに本当によくしてもらったという思いしかない。 

 あれから12年の歳月が流れた。言葉も随分通じるようになったし、読み書きも格段に進歩した。今、彼らと会って話ができたらどんなにいいだろう。安東の方言が強いアジョシの言うことも、江原道訛りが残ったアジョシの言葉も全部聞き取って、こちらの言いたいことも全部言えただろうに。 安東アジョシの息子はまだ音楽をやっているだろうか。江原道アジョシの子供たちはみんな独立したんだろうなあ。もしかしたら、孫だってできたかもしれない。 

 この12年は私にとって、疾風怒濤の12年だったと言ってもいいだろう。初めての外国生活、韓国語との格闘、雑誌の発行、留学生活、祖母、叔父、父の死。12年の間に得たものと、失ったものは思いの外大きい。これからの12年がどうなるか皆目検討がつかない。でも、引き続き、私は韓国と関わっていくだろうと思う。情熱を注げる対象を中年になって得たこと、一体誰に感謝したらいいだろう。

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