早い話が、私はデジタル型の人間だ。構造は単純なのだが、思考に融通性がある。0 or 1の2つに一つの選択をほとんど何も考えずにパッパッと処理していける。間違えたら、また元に戻って、やり直せばいいだけの話だ。試行錯誤型の人間にはうってつけのタイプだと言えるかもしれない。マニュアルの類を読むのが好きでない。目の前の現象をtrial and errorで何とか処理していく。哲学用語で言えば、演繹法ではなく、帰納法だ。まず一般論があるのではなく、「個々の特殊な事柄から一般的原理や法則を導き出す」と言うことだ。
だから、書店に並ぶHow to 物にほとんど関心が持てない。あくまで「私」という観点から出発して、あちこち衝突しながら自分なりにマスターしていくというのが好きだ。これは能力の問題ではなくて、好き嫌いの問題なのだと思う。
家人は私とは対照的に演繹派である。コンピューター一つとっても、ソフトをやたら買い揃えて、ああだこうだと機械と格闘している。私から見ると、ご苦労様の一言だ。材料をきっちり揃えて料理するというやり方に私は親しめない。
ましてやMacはハードとソフトが一体化され、一つの世界がすでに構築されているものだ。これにWindows方式を当てはめようとするのは、土台無理がある。寄せ集めのソフトにメーカー各社が作ったハードを対応させて稼働する従来のやり方がMacに当てはまる訳がない。
もちろん基本は押さえておく。でもその後はMacに寄り添って素直に展開していけばいいのだ。どうも家人のやり方は気に入らない。当分いざこざが続くような気がする。まあ、そのプロセスを楽しめがいいのだ。
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