金賢姫という人物も、考えてみれば実に数奇な運命の持ち主だ。休戦状態にある韓国と北朝鮮との緊張関係を嫌というほど思い出させてくれる。1987年に151名もの韓国人乗客を爆死させた実行犯が、死刑にもならずに韓国で生きて来た、いや、生きて来させられたと言った方がいいかもしれないが、とにかく、個人の意思とは関係なく、国家の意思で生かされてきたわけだ。
工作員とか、スパイなんて、冷戦時代の映画や、ナチス関係の映画に出てくる、スリルとサスペンスの申し子以外の何者でもなかった。ナチ抵抗運動での、緊張を強いられるスパイ活動、007の痛快な物語などで見たり聞いたりしてきたとしても、それはあくまで自分とは直接関係のない「お話」や過ぎ去ってしまった歴史上の存在に過ぎなかった。
南北分断という現在進行形にある韓国人にすれば、工作員、スパイ、間諜は驚くほど身近な存在なのだ。12年前に私たちがソウルに滞在していたときも、ソウル大学のある有名な教授が、実は北から送り込まれていた工作員だと判明したという事件があって、知り合いの韓国人がかなりショックを受けていた。
教育というものは恐ろしい。1999年に映画「シュリ」が大ヒットして、韓国で初めて北の工作員の日常生活が明らかにされるまで、韓国人の多くは「北の人間には角が生えている」「北の人間は人間の形をしているが、本当の人間ではない」などということがまことしやかに信じられてきたそうだ。だから「シュリ」は、韓国ではかなりエポックメイキングな映画になったという。
「北の人間も同じ人間だったんだ。自分たちと同じように恋もするし、悩みもする。何だ、角なんか生えていないじゃないか」、こういった反応が当時韓国で爆発的な大ヒットを記録する背景にあったという。日本でもほぼ同時期にヒットしたが、それは噂に聞いていた南北の対立の裏舞台が映画化されたからであって、韓国で人々がこんな反応をしていたなんて想像もしなかった。
「角が生えている」と言えば、韓国での反日教育も似たようなものだったらしい。「自分たちが大陸から伝えた文化の恩恵を受けているくせに、日本人はその恩を仇で返した、鬼のような存在だ。同じ人間とは思えない」、こういったふうなステレオタイプの日本人像を小さいときから植え付けられていた世代が実際にあったのだ。そしてこの事実がそれほど昔の話ではないということに驚くのだ。
「生まれた時代が悪いのか、それとも俺が悪いのか」という70年代に流行った歌の一節ではないけれど、いつの時代に生まれたかということがその人の人生を大きく左右するということは確かにある。インターネットの普及で、国境などとうに消えてしまった現代に生きていることのありがたみを思わざるを得ない。
子供の数が減ったのに、ちっとも余裕の感じられない昨今の教育界だが、爆弾で死ぬ恐怖にも見舞われず、軍隊に行く必要もなく、生きて行かれる日本人の子供たちはとりあえず幸せだと言わざるを得ない。引きこもりや、自殺が増えているし、子供たちの目を見ても、ちっとも生き生きしていない様子を電車などで見かけるけど、命の保障をしてもらって、十分な教育を受けさせてもらっているのだから、それ以上を望むのは贅沢というものだ。
ただし、管理教育の中でどこまでその子独自の自発性や独創性が発揮できるかは、別の問題である。
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