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2009/02/10

沖縄バスの運転手さんの話

 沖縄バスの運転手さんの話。

  沖縄は、寒いときで15℃ぐらい。天気が変わりやすく、風が強いときは、寒い。ジメジメしてくると、雨が降る。朝、曇っていてもカラッとしていると、いい天気になる。冬に沖縄に旅行した人は、来た日によって、気温差があるので、「思ったよりも沖縄は寒い」と感じる人もいれば、「さすがに冬でも暖かい」と言う人もいる。

  南部と北部と二つに分けて、ゆっくり楽しむとよい。夕方の飛行機で帰るのなら、北部に寄って帰ることもできるけど、午後早い便だったら、ちょっと無理。開南(かいなん)から南の沖縄ワールドまではバスで40分、停留所に降りたら、ワールドまで1.5キロある。これは何番のバスに乗っても、停留所からワールドまでの距離は同じ。実際に計ってみたから間違いない。お客さんに説明するのに正確を期さないといけないから、歩いてみた。1.5キロ。左へ曲がって、土地改良センターの所を右へ行く。新しい道だからわかりやすい。すると、じきにワールドが見える。 
 
 以上の説明を私たちが降りるときに、お客さんひとりを先に降ろして、5分ぐらいバスを留めたまま、してくれた。後ろの席を振り返ると、まだお客さんがひとり座っていた。  

 36年働いて、今はOBとして月14日間運転している。孫が9人。14日以上は働けない。バス会社が保険費用を負担しないとならなくなるから。まだまだ運転したい。弟は個人タクシーだからまだ現役だ。自分は無線の資格がないから、タクシーはやれない(以上は乗っている間に語ってくれたもの)。  

 停留所に降りて、私たちはバスが曲がっていくまで見送った。沖縄の人は情が厚い。説明を求めると、じっくり話してくれる。沖縄ワールドについては下をクリックして下さい。




2009/02/08

沖縄を見れば、日本が見えてくる。

 沖縄を見れば、日本が見えてくる。でも、日本を見ても、沖縄は見えてこない。我ながら名言だと思った。  

 沖縄2日目。午前中は県立博物館見学。午後は首里城見学。県立博物館は2007年に新しく建てられたもの。入館者64万人を越えたそうだ。建物のデザインも斬新で、常設展の展示物も工夫が見られ、ここに来れば、沖縄の歴史と文化が手に取るようにわかる。CG映像のおかげで、各時代の変遷や文物が具体的に眼前に繰り広げられるので、複雑な沖縄の歴史が本当にわかりやすく頭に入ってくる。沖縄入門者にはもってこいの施設だ。  

 沖縄の歴史を眺めると、それはそのまま日本の歴史である。表舞台ではなく、裏舞台、負の遺産というか、とにかく日本による沖縄搾取の歴史と言えばわかりやすいだろうか。 
 
 沖縄の悲劇とよく言われるが、その悲劇性は、日本への同化政策がもたらしたものだ。琉球王国のアイデンティティーは時代を追うごとに消えていき、その代わりに日本=大和に同化させられていった歴史の残酷さを目の当たりにして、私は衝撃を受けた。それはそのまま日本の朝鮮植民地化の歴史とも重なる。 

 そうなのだ。沖縄、いや琉球王国は過去から現在に至るまで継続して日本の植民地化の歴史を辿ってきたということなのだ。14世紀から16世紀にかけて隆盛を誇った東シナ海における中継貿易の覇者として、またもう一方の顔では、中国(明)に対する忠誠の限りを尽くした朝貢貿易の実践。 琉球王国の存在は王国の生き残りを賭けた海の物語である。

  ところが、秀吉による日本統一以後、琉球に変化が現れた。薩摩による圧力である。東シナ海での貿易立国として華々しく活躍していた琉球に対して、「おいしいとこ取り」を要求されたのだ。貿易のノウハウを強引に教えろ、貿易の主体を薩摩に譲れということだ。で、薩摩に戦争を仕掛けられ、琉球王国は衰亡する。自衛手段は持っていても、日本のように実戦経験がなかったから琉球はいとも簡単に薩摩の横暴の下に落ちてしまうのだ。

  秀吉という人物がいなかったら、日本の歴史も変わっただろう。信長が暗殺されなかったら、ずいぶんマシな歴史を辿ったのではないかと時々考えていたが、歴史にifはないからしょうがない。秀吉が周辺諸国に与えた影響というか被害は甚大なものだったということだ。年老いてから若い女に狂い、子供まで設けて、さらに親バカの限りを尽くして、日本の進路を誤ったという感じがしてしょうがない。これは老害だね。老害+親バカという図式は最悪路線だ。

  沖縄を見ると、日本の侵略路線がよーく見えてくる。そう言う意味では沖縄と韓国・朝鮮は同じ図式の犠牲者ということで共通している。明るい気分になれない。街行く人々が明るい陽光のわりに表情が暗く見えるのは、こちらの思い込みも多少あるかもしれないが、搾取され、奪われ続けてきた人々の恨み、哀しみが彼らに綿々と息づいているように思えてしょうがない。  

 知らないということは罪である。日本にいたまま文部省の教育を受けていたのでは、なあんにも知らずに大人になるだけだ。学校教育というものにハナから懐疑的な私としては、ひたすら腹が立つだけだ。教育よりも教養だ。教養は学校では身につかない。自分で身につける努力をするしかない。

2009/02/07

沖縄には冬がない?!

 那覇到着。あっと驚く初夏の陽気。気温23℃。風、生暖かく、湿度高し。 

 やはり南の島だ。ハイビスカスもブーゲンビリアも咲ききって、花びらが落ち始めている。街路樹は椰子の木。国際通りは、椰子の木通りだ。内地から高校生が大挙して修学旅行に来ている。引率の先生も心なしか浮ついた様子だ。2月は沖縄修学旅行のシーズンだったんだね。夏は暑くてそれどころではないのだなあ。 

 あまりの風土の違い、人々の顔つきの違いに、ここで日本語が通じ、日本円が流通すること自体、不思議に思われるほどだ。台湾のときほどではないにしても、軽いカルチャーショックに浸る。ここは正真正銘亜熱帯の島。

 飛行機で羽田から3時間と言っても、フライト時間は2時間20分ぐらい。日本列島を海沿いに南下し、那覇空港を滑走する時には機内前方大画面にまっすぐな滑走路が見えてきて、まっすーぐどこまでも進み(このまま沖縄島を通り抜けて、東シナ海に抜けるのかと思ったほど)、突然、がたんと着陸した。 

  天気は曇りがち。島だから雲がモクモク湧いているって感じ。人々の表情は思いの外暗い。やけに太った人がいる。全体に小柄な人が多い。タバコを吸う人が多いのも驚きの一つ。歩きタバコもけっこう多くて、私は大いにむせてしまった。  

 夜は沖縄舞踊の公演を見る。公演会場もこの4月で閉鎖される。老朽化のためだ。毎週金曜日に公演があると聞いていたので、今回はいい機会だった。 

 沖縄舞踊のリズム、跳ね上がりたくなるような太鼓のリズム、そこまで日本の影響を受けていいのかと思われるほどの腰を落とした踊りの基本姿勢と、衣装。いくつかの発見があって、実に興味深かった。

2009/02/06

良心的な会社ACE

 2004年のことだから、もう5年も前の話だ。家人が一人用のスーツケースを買った。四輪駆動なのでとても使いやすく、家人が使ったり、私が使ったりとけっこう使い込んできた。

 年末、ソウルから戻るときに、そのスーツケースのサイド・ハンドルがパカッと取れてしまった。サムソナイトのスーツケースだ。インターネットでサムソナイトのホームページを見ると、数年前の購入については、ACE株式会社の担当になっているので、そちらのカスタマーセンターに問い合わせるようにというお知らせが出ていた。

 インターネットを見る前に、実は購入した小売店に電話して、事情を説明し「修理したら費用がどのくらいかかるのか、そもそも修理の方法があるのか」と聞いていた。その返答があまりにも不誠実でいい加減なものだったので、メーカーに直接問い合わせることにしたのだ。

 ACEのカスタマーセンターに小売店の一件など詳しく電話で説明した。本来なら、こっち持ちで往復4,000円ぐらいの宅配便代をかけた上に、修理代が3,000円前後かかるという話だった。先方は小売店のことがひっかかったらしく、その店の連絡先を教えてほしいとのこと。

 翌日、カスタマーセンターから電話があって、小売店の不誠実な態度(のちほど修理に関して連絡すると言っておいて結局、連絡さえなかったのだ)についてはよく承知した、ついてはスーツケースを着払いで送ってほしい、検討して、折り返し連絡するとのことだった。早速送った。

 さらに翌日、連絡が入った。「サイド・ハンドルは付け替えることができます。2週間ほどでお届けできます」という話だった。私は、「必要経費を持ってもらうのでは恐縮する」と伝えたのだが、構わないとのこと。あとはスーツケースが戻ってくるのを待つだけになった。

 そして、思いの外早く、戻ってきたのだ。サイド・ハンドルはもちろん、ハンドルも念のために新しいのと付け替えたとメモにある。今後ともACE製品をよろしくと添えられていた。

 サムソナイト製品は、今はACE委託販売ではなくなり、サムソナイト自体が売るようになったらしい。先般、あるデパートでサムソナイトの出店を覗いたら、ルイヴィトンを思わせるような高級なスーツケースの販売に力を入れていることがよくわかった。スーツケース販売も競争が激しくなり、差別化を図ったものと思われる。

 ACEは昔から浅草にある鞄、バッグの老舗だ。使い勝手の良いバッグなど、私も長く愛用してきたものが多い。今回のカスタマーセンターの対応は特別なことだったにせよ、自社製品に誇りを持って、消費者に良心的に対応している様子がよく見てとれた。おかげで愛用のスーツケースは当分使えることになったが、次回必要があれば、サムソナイトではなく、ACEの製品を検討しようと思った。

2009/02/05

星の王子さま

 私の愛読書というか、バイブルのようになっている『星の王子さま』。フランス語版、日本語版、そして韓国語版を持っている。語学の勉強にはいいテキストにもなっている。 

 この物語の中に、街灯の灯りを点けたり消したりしているおじさんが暮らす星が出てきたでしょ。あの星の話、なかなか含蓄があって私は気に入っている。日常の、無意味に思える繰り返しを象徴しているこの星のエピソード。王子が何を思ったか、よくわからないが、作者のサンテクジュベリの意図したことが最近なぜか重みを持って私に迫ってくるのだ。 

 朝、カーテンをしたまま韓国語の勉強その他をやり、そのうち朝刊が来て、それをざっと眺め、やがて日が昇り、カーテンを開ける。夕方は5時頃には暗くなるから、カーテンを閉めてTVをつけ、夕方のニュースを聞きながら、夕食の準備にとりかかる。  

   カーテンを開け、カーテンを閉める。そのことだけを見れば、なんの変化もない、同じ動作の繰り返しである。でもなんの変化もないということのありがたさをしみじみ感じるのである。こうして無事にカーテンの開け閉めを滞りなくやっていることの幸せ。これは何ものにも代えがたいことだ。  

 日常に飽き飽きしてくるとか、人間関係に嫌気が射すなんてことはよくある話だ。でもいったん何か事が起こったときには、その退屈な日常のありがたさを再認識するのも人間だ。もちろん変化を求める気持ちは誰にもあるだろう。日々の目的を失って、ただストレスだけが積もっていくといのが大方の現代人の日常かもしれない。  

 でも命の危険に晒されているわけではない。命がある程度保障された上で続く日常である。こんなにありがたいことがあるだろうか。命あってのモノダネ。そのありがたさを時々思い起こして今日もカーテンを開けよう。

2009/02/03

沖縄服装計画

 那覇は、日中22度ぐらいになっている。さて、何を持っていくか。寒いときに暖かい所へ行ったことがないので、皆目見当がつかない。歩きやすいスニーカーに、ジーンズという、いつもの基本ワードローブではあるけれど、長袖の下着はいらないやね。  

 タートルのTシャツも必要なしだね。念のためにスカーフを一枚。それと帽子。陽射しも強いだろうから。脱ぎ着のしやすいパンプスも一足入れよう。

 何しろ初めての沖縄だ。今読んでいるのが高良倉吉(たから・くらよし)著『アジアのなかの琉球王国』吉川弘文館。前読んでいた伊波普猷に比べると、現代の人が書いたので、わかりやすい。琉球、沖縄に対する情熱も感じられ、14世紀から始まった中国との朝貢外交の歴史も面白い。入門書としてはお薦めである。 

 沖縄は、歴史的に見ても地理的に見ても、東シナ海文化圏の中心をなす。東シナ海か。なじみのうすい海だ。中国福建省、そして台湾に至る地図を眺めていて思い出した。10年前の夏に行ったことのある台湾だ。言葉を絶するほどの蒸し暑さだった。 

 海開きはまだにしても、10度以上気温差のある所だ。暑さが苦手の私。ちょっと覚悟して出かけることにしよう。日傘も持っていくかな。

2009/02/02

2月に入って

 1月も無事過ぎた。2009年に入って、どういうわけか私は毎日が充実している。一日一日をとても大切に思いながら過ごしている。忙し過ぎず、かと言って暇過ぎずという感じだ。何事も「過ぎる」と碌なことはない。とくに忙し過ぎると、字の通り、心まで失ってしまいかねない。 

 自分の年齢を考えると、昔は想像だにしなかったことだが、一日一日がとてもいとおしく感じられてくるのだ。「忙しさに取り紛れて」なんて、もったいなくて、そんな過ごし方などしたくない。今日の日は二度と巡ってこないかと思うと、一日を大切に過ごしたいという思いが一層募るのだ。 

 夜明けに苦もなく起きて、日が昇るまでの2時間半は、誰にも邪魔されない私だけの時間だ。7時前に世の中明るくなり、TVをつけて天気予報、ニュースを見る。カーテンを開けて、ああ今日も無事に朝が迎えられたと思う。 

 浅間山も噴火しているし、関東地方にいつ大地震が起こっても不思議はない。毎日怯えて暮らすわけにはいかないから、せめてある意味覚悟をして暮らしていかねばと思う。命さえ助かれば、あとは何とかなる。まだ体力も知力も対応できる年齢だから今の所はありがたい。