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2026/06/30

天皇制なんかやめてしまえばいいのに。

  憲法で天皇は国民の総意に基づいた象徴と定義されているが、果たして天皇という存在が必要なのかとGamilaは常々思っている。戦争責任について、昭和天皇は何の反省もなく亡くなった。彼が敗戦の年に退位していれば、すっきりしたのにと思う。なぜ天皇を象徴として残したのか、よく理解できない。

 明治維新以来、天皇制は国家神道と一体になって、戦前の国民に浸透していたらしいが、その歴史、たかだか160年にも満たない、近現代に作られた神話だ。

 民主主義の概念から見ても、天皇制の存在は人権侵害を及ぼすだけだ。皇族の存在も民主国家にふさわしくない。何を今更という感じがするのに、象徴天皇制に振り回されて、政治家もメディアもフラフラと、曖昧な態度に終始している感じだ。

 憲法九条で戦争放棄を謳う一方で、一章でかつて戦争の最高責任者だった天皇を象徴として残してしまったのは、納得できない。

 Gamilaは、憲法九条を守りたいので、憲法改正に反対の立場だが、象徴天皇制、これ、何とかならないものかと思うのだ。妙案があれば、誰か教えてほしい。

2026/06/19

傍若無人

  傍若無人(ぼうじゃくぶじん)。傍らに人無きが如し。傍に人がいるのに、いないかのように勝手な行動をする様子。

 先日、友人とパスタの店でランチをとった。二人席だったが、隣の二人席が来るまでは、それなりにおしゃべりを楽しみながら、食事していたのだが、隣に、女性二人が座ったとたん、彼女たちがかなりの声でしゃべったり、大笑いしたりが始まった。迷惑そうに思わず隣を何度か見てしまうほどの大音量。

 年齢差があるようだが、母娘ではないらしい。久しぶりに会ったのか、とにかくそのけたたましさと言ったら、驚きを越え、呆れるほどだった。友人と「これじゃあ、耐えられないわよね」と目で合図しながら、食後のコーヒーは、別の店に移ることにした。

 久しぶりに傍若無人という言葉を思い出した。普段、人と接することがないのだろうか、自分たちしか、その場にいないかのようにはしゃいでいる。彼女たちには、マナーとか、エチケットとか、そういう概念が存在しない。周囲の冷たい視線を感じ取る神経も持ち合わせていない。

 ウェイトレスにそれとなく伝えることも考えたが、とにかく一刻も早く店を出ることにした。注文はQRコードだけど、客としての一言をメールで伝えることができたら、よかったのかもしれないし、ウェイトレスに店内の雰囲気を観察して注意喚起してもらうのは、ちょっと無理かもねぇとも思った。

 

2026/06/11

「目線」と「視点」

   最近、「視点」と言うべきところを「目線」という人が増えている。聞くたびに、どうも嫌な感じがして、ここで取り上げる。

 「目線」というのは、元々、芝居用語で舞台や映画などで演技者の目の向いている方向・位置・角度のことなどを指す。ものの見方、捉え方で使う場合は、「上から目線」=相手が立場が下だととらえて見くだしたような態度をとること、といった場合に使われる。

 ところが、最近は「視点」という意味で、「目線」と言う輩が増えた。なぜ、「視点」と言えないのか。もしかしたら、自分の立場を曖昧にしたくて、「視点」という確固とした表現をとらず、「目線」という曖昧模糊とした表現になるのではないか、とGamilaは考える。

 テレビやラジオの出演者の言語能力の劣化が本当に深刻だ。常日頃、聞こえてくる言語はいつのまにか定着してしまう。Gamilaは、そういうことに抵抗しつつ、適切な日本語の使用に努めようと思うのである。


2026/06/03

デジタル・デトックス

  韓国旅行中は、スマホでメール確認、カカオトークで友人との連絡など、日々デジタルのおかげで過ごす日々だった。

 帰国してからは、毎日新聞、東京新聞の購読に加え、留守中取りおいてもらっていた2か月分の2紙の消化に追われ、スマホの出番は格段に下がった。

 さらに愛聴していたラジオ番組ー文化放送のラジオマガジン、TBSラジオのSessionーにも復帰したので、ああ、これが日常なのねと再認識しながら、デジタル・デトックスの快感に浸るのである。

 指でひょいひょいスクロールするスマホの世界で、世の中の真実に辿り着くことはほとんど不可能だ。新聞記事の気になる報道をじっくり読むことで得られる事実の蓄積は、何物にも代えがたい。

 新聞各紙の記者たちの努力の賜物といえる記事の一つ一つを家に居ながらにして読めるありがたさ。そして、この新聞を毎朝、毎夕、自宅まで届けてくれる新聞販売店の地道な活動に支えられていることを今更ながら思うだ。

 デジタル世界を利用するだけ利用して、国民に何の説明もしない、中身空っぽの現政権の胡散臭さもまた、再認識する今日この頃である。