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2009/06/06

明日から半年ぶりにソウルへ。

 雨がよく降るね。でも緑が瑞々しくていいね。さて明日からのソウル。天気はどうだろ。こちらより湿度が低いことはわかっていても、この時期のソウルは2007年以来だからピンとこない。一昨年は暑かった。すでにあちこちクーラーが入っていた。東京の感覚だと、クーラーはまだ早いんじゃないの?と思ったが、人々の服装はすでに夏だった。クーラー対策に羽織るものと、レインコートは入れなきゃね。  

 今回の目玉はソウル踏査(タプサ)だ。高齢の母のために車であちこち回りましょうと知り合いが言ってくれて本当に助かる。今までは全部歩いて経巡っていたし、地下鉄では景色が見えないものね。昨日5日は明洞に劇場が復活した。植民地時代に「明治座」と呼ばれていた映画館が今回新たに「明洞芸術劇場」として復活したのだ。  

 ソウルの再開発はすごい勢いで進んでいるが、植民地時代に建てられた建造物は頑丈だからか、旧朝鮮銀行は貨幣博物館になり、京城府民館はいまだにソウル市議会会議場として使われている。市内中心部に残っていた日本家屋は崩壊の一途を辿っている。母が卒業した今の京畿女子高(昔の京城第一高女)は、昨年の11月に行って見たところ、跡地はそのまま残って米軍関係の車両が留まっていた。100年を超えたエンジュの大木が倒されたという噂も聞いたが、さてどうなっているか。

 ヒョッチャの家にも母だけ一泊させることになっている。ヒョッチャが東京に来たとき、母のアパートに泊まったことがあるのだ。母と同年代のお父さんとの対面もある。このお父さんは戦前、故郷から突然日本に連れていかれて北海道で労働させられた人だ。日本語を今でも上手に話される。12年前、私たちのために通訳を買って出て下さったり、ハングルで書かれた聖書の一説を日本語で翻訳して私に解説して下さったこともあった。  

 「日本を恨んでいませんよ。日本に行ったとき、女の人に可愛がられたし、楽しいこともたくさんあった」と言われ、こちらはびっくり恐縮するばかりだった。解放後は軍人から伝道師に転職し、敬虔なクリスチャンだったヒョッチャのお母さんともども教会に身を捧げている。帽子のよく似合うお洒落な方だ。 

 「あなたのお母さんも引揚げで苦労なさったでしょう。私も韓国に戻るとき大変な目に遭いましたからね」そう言われたときは、言葉もなかった。母にこのことを伝えると涙ぐんだ。 

 日程は余裕をもって設定した。母を預かってもらっているうちにブログの仲間と会ったり、例のN社長に会って8月の雑誌製作スケジュールを詰めたりと、ついでにやることはそれなりにある。前もって会うと約束している人は2名だが、まだ余裕が出来るようであれば、緊急招集すればいい。6月は大学も夏休みに入る。突然の電話でも都合がつけば会いに来てくれるだろうし、駄目なら次回にすればいい。携帯に保存された電話番号は増加の一途を辿っているが、「この人、誰だっけ?」と、そのままにしている人々もいる。やがて自然淘汰されていくだろう。必要な人はいつだって私を助けてくれる。

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