予報通り雨模様だが、気温が低め(日中が21℃ぐらい)なので母にはいいかもしれない。10時前に李さん到着。彼は盆唐(ぶんだん)の方から市内まで来てくれるので、車で1時間半近くはかかる。2日目の踏査は徳寿宮(とくすぐん)から始まった。
大漢門の前には、TVのニュースで見た通り、盧武鉉前大統領の分霊場がしつらえてあって、女性国会議員や盧武鉉支持者がテントを張って、49日まで(たぶん7月10日あたりか)ここで故人の霊を慰めている。私も記帳してお参りさせてもらった。お参りの仕方がわからないので、李さんに教えてもらいながらお祈りした。遺影を前にすると、本当に惜しい人を亡くしたという思いが湧き上がった。
徳寿宮は昨年の11月、紅葉の季節に来て以来だが、緑したたるこの季節も気持ちがいい。母は幼いときにしょっちゅう遊びに来ていたので、童心に帰ったように顔をほころばせている。パスポートを提示して65歳以上無料で入れてもらった。
旧京城第一高女跡地へ。徳寿宮の塀沿いに歩く。貞洞のあたりは、裁判所、市立美術館、救世軍本部(1928年創立)、アメリカ大使館、ロシア大使館などが並んでいる。母が卒業した女子校跡は移動派出所の車が留まっているだけで、あとは昔の校庭にえんじゅの大木が1本あるだけだ。門の鉄扉は閉まり、時折警察関係の車両が出るときだけ、門が開き、すぐに閉じられる。部外者が入る雰囲気ではない。鉄扉の隙間からえんじゅの木を撮影したが、扉が邪魔で全体は撮れなかった。李さんの話では、この跡地は本来徳寿宮の敷地内にあって、解放後はソウル市から米軍に渡ったが、今は警察の管理に置かれ、この先何に転用されるのか決まっていないという。
京城中学は、建物は撤去されたが、その敷地はソウル市立歴史博物館に生まれ変わった。2002年のワールド・カップ開催の年だ。ここはソウルの昔と今の歴史がパノラマや地図、史料、植民地当時ゆかりの品々を見ることでわかりやすく展示されているのだが、けっこう規模が大きくて、江戸東京博物館のことを思い出した。
明洞。昔の明治町。6月5日に植民地当時あった明治座が明洞芸術劇場としてリニューアルした。母は、ここで映画を見に行った記憶があるそうだが、今は演劇専門の劇場になっている。TVでおなじみのベテラン俳優が出演しているお芝居もかかっている。次回、機会があったらぜひ見てみたい。
明洞聖堂。当時は小高い丘の上の聖堂がこのあたりでも一番高い建物だった。けっこう急な坂道を上って、私たちは初めて聖堂の中に入ってみた。シスターや一般の信者が静かに祈りを捧げていた。
お昼は明洞餃子の店。マンドゥとコンククスなどを食べた。昼時で行列が途切れることがない。お店の人が手際よく案内してくれて、すぐにテーブルにつけた。
明洞までたっぷり見物できて母は満足そうだ。今日はこれでお開き。母をいったんオフィステルに送って、私たちだけソウル歴史博物館に連れて行ってもらう。
夜は東北アジア研究所の研究員、李さんの先輩女史も一緒に母を交えて楽しい夕餉を囲んだ。日本に10年留学していた人や、日本語ぺらぺらの人が加わったので、気が楽だ。慣れない通訳で少々疲れが溜まっていたのかもしれない。日本語がありがたかった。
今日で李さんともお別れだ。母は感謝の気持ちをどう表していいかわからないと言って、頭を下げていた。今後とも李さんにはお世話になる機会が増えるだろう。晋州で初めて会って引き続き雑誌を通して交友が続いていたことに感謝したい。