このブログを検索

2008/12/21

亡父のこと。

 亡くなって2年が過ぎ、ようやく父はもうこの世のどこにもいないんだという事実を受け入れられるようになった。死に目に会えなかったことがこんなに尾を引くとは想像だにしていなかった。死亡診断書など、書類上でしか父が亡くなった背景を知ることができなかったことは、娘としてどれほど無念だったか言葉に尽くすことができない。でも、病魔に冒されて、見るのもつらい状況を見ないで済んだという点ではよかったのかもしれないと自分に言い聞かせている。

 私が最後に見た父は、まだ55歳。新聞社は退職したが、まだまだ若々しく、現役のジャーナリストとして活躍していたときの父である。  

 11月にソウルへ行ったとき、明洞のカフェでヒョッチャといろいろと話した。その折、亡くなった父のことも話題になったのだが、話しているうちに涙が出てきて止まらなくなった。ヒョッチャも泣いていた。どんなにつらかっただろうと言った。一緒に泣いてくれる友人がソウルにいることに私は感謝した。  

 私は父から多くのことを教わった。高校生のときに初めて飛行機に乗って大阪に連れて行ってくれたのも父だ。春休みだったか、取材に同行したのだが、一流ホテルに泊まったのもそのときが初めてで、シャワーカーテンをこうやって、バスタブの内側に入れて、シャワーを浴びることだとか、ホテル宿泊の際のあれこれ、飛行機搭乗などについて、知らず知らずのうちに指導を受けた。私が一人前の女性として、将来どこに行っても恥ずかしくない程度の知識を与えてくれたのではないかと今頃になって思い当たるのである。  

 取材先にもついて行き、父がインタビューする様子、写真を撮る様子など具に見た。父は写真のセンスも良かったので、カメラマンが同行する場合より、自分で文章も写真も全部やる場合の方が多かったらしい。取材先の父は、家にいるときには見せない表情で、熱心に相手の話を聞き、質問をし、重たいカメラレンズを交換しては(デジタルカメラなどない時代である)、顔から流れ落ちる汗をふき取る余裕もないまま、次から次にアングルを変えて熱心に撮影していた。父が働く現場に立ち会えたことは、今になってみれば、貴重な経験をしたと思う。 

 写真のセンスは、学校で習うものではない。自ら自然に身につくものだ。基本的に芸術的センス、美的センス、審美眼、色彩感覚などはどこに行っても教えてもらえない。これは生まれついてのものだ。私はこれらを父から受け継いだと思っている。父も技術的なことを除けば、私に一切教えてくれなかった。 

 高校入学のときに父からプレゼントされたセイコーの腕時計。手動のねじ巻き式だ。何十年も前にとうとう壊れて、あちこち修理に出しても、「もう中を分解してもダメですよ」と言われた。でも捨てられなかった。  

 それが、急に思い立って、10月にセイコーに問い合わせた。やはりもう昔の型だから部品もない、でも念のために時計修理専門の会社を紹介しましょうと言われ、築地のモントルという修理専門会社にこの時計を持って行って見てもらった。すると、直りますとのこと。分解掃除して、部品を新しくして、ちょっと時間はかかりますけどとのこと。 

 年内は無理だと思っていたら、存外早く修理できたと電話が入り、私は嬉々として築地に行った。あと5年はこのまま行けますよ。その頃またオーバーホールをすれば、ずっと使えます。 

 銀座の三越で新しい革のバンドに交換した。見違えるほど、素敵になった。文字盤が紺色だったのも当時としては洒落たものだった。高校入学を祝って、父が行きつけの銀座の天賞堂で買ってきてくれた時計がとうとう蘇った。 

 明日、この腕時計をして、私はソウルへ行く。

0 件のコメント: