当時、彼女とは家も近かったので、よくデイトした。「보고 싶다」と電話してきては、突然会いに行ったりして、牧師のご主人も呆れるほどだった。帰国してからも、メールではなくて、手書きの手紙をよくくれた。いつも最後に「会いたい」と添えてあった。ご主人が「僕にはそういう言葉かけたことない」と言って嘆いたそうだ。そう言ってからかわれるほど、私たちの関係はよかった。
彼女の欠点は、サービス精神が良すぎて、ついつい心にもないことを言ってしまうことだ。これは彼女のせいというより、牧師夫人という職業柄来るものかもしれない。私にはすぐわかるのだ。ははあ~ん、また心にもないこと言ってるわ。無理して言ってるからすぐにわかる。
一緒にショッピングに行くと、彼女は品物選びにひどく時間をかける。私がパッと決める方なので、よけいそう感じるのかもしれないが、一つの品物を、ためつすがめつして、ようやく買うことに決める頃には私は待ちくたびれている。
そうやって買ってきた物なのに、結局どこか気に入らなくて、品物の交換に付き合ったことも一度や二度ではない。デパート、市場、とにかく自分が買うと決定した物なのに、自宅に戻ると考えが変わるらしい。「帯に短し、たすきに長し」なのだったら、買わなければいいのだ。私なら気に入ったものは一目でわかるし、少しでも難があれば、妥協などしないで買わないという選択をする。ところがヒョッチャはそこがどうも優柔不断というか、散々迷ったあげく、買うのだが、やっぱり細かい所で気に入らなくて、交換に及ぶのだ。
11月にソウルに行ったとき、明洞のカフェでじっくり話しながら食事をした。比較的落ち着いたカフェで、明洞に行くと、私たちは必ずここに行く。軽い食事もできるので、韓国料理で胃が疲れたときなどは、少し少なめのここのピラフがちょうどいいのだ。コーヒーはいくらでもお代わりできるし。
そのとき、私のデジタル・カメラを見て、「いいわね、それ。今度私の分、買ってきて」と言ったのだ。日本円にして2万円ぐらいだから、韓国ウォンで20万ウォンほどだと言うと、「それだけの機能でその値段は安い。12月に買って持ってきて」と頼まれた。
帰国してしばらくしてから、家電の安売り店に行った。私と同じタイプのものを問い合わせると、在庫がもう出ている1台だけとのこと。私は迷わず買った。8月に買ったときより、安くなっているし、次世代の新型タイプは3万円台で出ている。さすがに次から次へと出るもんだと思った。新型はI Podのように指で自由に画面操作できるタイプだった。
「カメラ、買ったわよ」とメールを出した。すると、何日かして来た返事には、「悪いんだけど、あのときは計算違いをしていた。今、冷静に計算したところによると、円の15倍だから、20万ウォンではなくて、32万ウォンになる。これでは到底買えない。返品してくれないだろうか」とある。
カードで買ったから返品は効かない。それに、今のレートで計算してお金をもらうつもりは毛頭なかったので、「32万ウォンはあまりにも高すぎる。私は円を韓国に持って行ってウォンに交換する観光客ではないから、11月のときも既にある韓国の通帳から必要なお金を下ろして使った。だから、ウォンに対する感覚は韓国人と同じ。実質換算は10倍ぐらいだと思うから、20万ウォンでいいわよ」と返事した。
これに対する返事。「それではGamilaが損するだけだわ。もちろんこちらとしてはありがたいけど、それでは申し訳ない。今晩、電話するね」
で、結局、電話はかかってこなかった。12月にはこのカメラを持っていくしかない。ヒョッチャが本当にこのカメラが必要だったのか、今となっては疑問だ。
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