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2008/10/30

う~ん、今一つかな。

 
 昨日、KBS 2のホーム・ページに入って、ヒョンビンのドラマをタシ・ポギで見てみた。10月27日(月)放送分だ。ヒョンビンは都会的な青年を演らせたら最高だけど、相手役のソン・ヘギョがどうも食い足りない。  

   ソン・ヘギョは10年以上前のシットコム「順風産婦人科」で初めて見たが、当時はぽっちゃり太めで四人姉妹の末娘を好演していた。まだあどけなさと生意気さが残っていて、それはそれなりに目を引いた。当時、まだ20歳ぐらいだったのかな? 

 その後、「秋の童話」でブレイクし、韓流でもお馴染みの女優になったが、どうも線が細い。アクが強くないところに私は魅力を感じなかった。 

 そうこうするうちに、あくの強いイ・ビョンホンと共演して恋に落ち、公然のカップルとして注目されたのも束の間、誰もが想像していた通り、別れた。  

   2007年には映画「ファン・ジニ」で、才色兼備のキーセンを演じ話題になった(私はまだ見ていない)。どちらかといえば没個性の部類に入るので、やはり私には魅力的な女優ではない。 

 ヒョンビンもどちらかというと、没個性である。だからその相手役には少々あくの強い女優が似合う。「アイルランド」のイ・ナヨン、「私の名前はキム・サムスン」のキム・ソナなどがいい例である。個性の強い女優を相手に受身の演技で応酬するヒョンビンという図式が面白いのだ。  

 「그들이 사는 세상」はテレビ局のドラマ・チームの話なのだが、ソン・ヘギョはどう見ても演出家(監督)には見えない。せいぜい衣裳係という感じ。ヒョンビンはやり手の演出家に見える。彼はどんな役柄でもこなす。  

 (月)(火)ミニシリーズとして始まったばかりのこのドラマ、「視聴者意見」も時々覗いて、この日記でも紹介することにしよう。16回まであるのか、20回ぐらいなのかよく知らないが、今年いっぱいやっていることは確かだ。

2008/10/29

ああ、久しぶりのヒョンビン

 
 10月27日(月)からKBS 2で始まった「그들이 사는 세상」。共演はソン・ヘギョ。TV界のバック・ステージものらしい。オン・ラインで見ようとも思ったが、夜は眠い。そのうちKNTVが買い上げてくれるだろう。期待したい。 「雪の女王」以来、なんと2年ぶりの登場である。破格の出演料らしいので、2年に一度でも十分食べていけるのだ。 
 
 釜山国際映画祭の最後を飾った「나는 행복합니다」の評判は今ひとつらしい。韓国でいつ封切られるのか、まだ知らない。精神病棟が舞台らしいが、ヒョンビンの熱演を是非見てみたい。TVドラマの方は、いつものように素敵なヒョンビンが見られるのだろうが、映画の方は精神病棟という閉鎖された世界での、ドロップ・アウトした一人の青年を好演しているように聞いたので、興味をそそられる。役作りにかなり苦心して、もう二度とこんな役はやりたくないと言ったそうだ。演技に対してどこまでも真面目に取り組む彼の姿が彷彿とする。

2008/10/27

言論の自由

 チェ・ジンシルの自殺をきっかけに韓国では言論を取り締まろうという与党の動きと、それに反対する野党の主張が表立ってきた。もちろんネチズンの反応はさまざまだ。  

 言論の自由を封じようとうする与党政府には反感しか抱けないが、自由な言論の前提には自ずとルールがあるのは当然のこと。このルールが韓国では大きく外れることが多い。根も葉もないことを堂々と言ったり書いたり、事実を歪めて発表したり、人格攻撃をしたりとネチズンの世界は、日本で言えば2ちゃんねるの様相を呈しているらしい。私自身は2ちゃんねるはほとんど見たことがない。見ても有益なことはないと思っているから。 

 意見を闘わしたり、相手の考えの矛盾を突いたりするのはなんの問題もないが、相手の人格攻撃にまで至るのは行き過ぎだ。リベラリズムの基本はヒューマニズムに基づいた是々非々の考え方だ。同じ人間として相手を尊重した上で堂々と意見を言い合うのがいい。偏った考えではなく、常に現実を冷静に観察した上で、いいものはいい、悪いものは悪いと判断できる思考力が要求される。

  何でも自由にものを言うことと、正しい判断の下でリベラルな意見を言うことはまったく違うことだ。後者のようになるには常日頃の勉強と努力が必要になってくる。安易な同調、浪花節、右顧左眄、日和見主義は排除されるべきだと私は思う。そのための努力は個々人の問題になってくる。  

  民主主義は非効率的で時間がかかるものだ。でもその非効率性を嫌っていたのでは本当の意味の民主主義=リベラリズムは実現しないだろう。

2008/10/24

IMFシーズン2?

 世界同時恐慌の様相を呈してきたが、日本だけは円高で、アメリカもヨーロッパも日本の円に期待しているところがあると聞いた。韓国ウォンとの差は、なんと14倍! 2006年頃は7倍くらいだったと記憶しているから、実質ウォンの価値は半分になったわけだ。 

 日本に留学している学生や研究者は急激な円高で困窮はなはだしいのではないかと私は心配している。予算が突如、倍かかることになったと想像しても、すぐにはピンと来ない。あまりのことに、これからの生活どうしたらいいのかと思ってしまうだろう。 

 1997年にアジアを襲った国際通貨危機(IMF危機)。私たちはちょうどソウルにいた。暮らし始めた頃は、なんだか景気のいい国だなあと驚くことばかりだった。なにせ、銀行預金利息が年12,13%はついたのだから。おかげで私たちは利息を何度も東京行きの飛行機代に換えることができた。

  それがあれよあれよと言う間に、突然降って湧いたように起きたIMF危機。時々通っていた汗蒸幕の有閑マダムたちが、「1ドルがとうとう1200ウォンを超えたわよ」と、あまり危機感のない雰囲気で噂していたものだ。それが結局1700ウォンになる頃には私も汗蒸幕通いをやめてしまっていた。

  韓国でIMFシーズン2と巷で言われている今の経済危機。11年前のシーズン1のときと経済担当のトップの顔ぶれから、経済界のお歴々までほとんど同じ面子が揃っている。首相まで同一人物。違うのは大統領ぐらいかもしれないというのだ。 

 さて、韓国はこの事態をどうやって切り抜けるのだろうか。日本もおちおちしてられないが、韓国の方がずっと深刻なはずだ。

2008/10/22

USAは世界の警察か。

 私はUSAをあまり好きではない。USAに行ったこともないし、知人も友人も一人もいないからなおのことかもしれない。  

 好きになれない理由の一つに1945年の広島、長崎原爆投下という歴史的事実がある。原爆を搭載したエノラゲイという爆撃機はいまだに誇らしげに博物館に飾ってあるという話を聞いても、人類史上、初めての「実験」成功物語として、アメリカ国民の頭の中に残っているのだろう。戦争を早く終わらせるためだったなんて、大嘘だ。アメリカは原爆の威力を早く知りたくてしょうがなかっただけのことだ。科学の発展の裏にはいつもこうした残酷さ、残虐さが潜む。 
 
 好きになれないもう一つの理由。そのダブル・スタンダードの行使を堂々とやることだ。核の保有国を自分の物差しで計って決めている。最大保有国としての恥ずかしさなど想像したことがあるのだろうか。イスラエルとの癒着、アジア蔑視、数え上げたら切がない。 
 
 今、アメリカ経済が未曾有の混乱に陥っている様を見ても、自業自得だろうと言いたい。大量消費社会、貧富の差、金持ち優遇、貧乏人はまともな医療も受けられない。そんな状態で民主主義大国と言えるだろうか。おまけにアメリカのキリスト教は原理主義が幅を利かせている。ダーウィンの種の起源を教えないどころか、堕胎の自由を禁止したり、同性愛者を迫害したり、人種のるつぼと謳いながら、人種差別の熾烈なことと言ったらない。  

 USAはその存在自体が自己矛盾に満ち満ちている。自分で自分の首を絞めているようにも見える。  

 ついでに言うと、韓国の親米派もどうかと思うね。日本もそうだけど。USAに留学したり、移民したりする韓国人の数が決して減らない理由はなんなのだろう。何を学びに行くのだろう。外から見る限り、いい時代の民主主義は死んだ、あの国では。

2008/10/20

日常のありがたさ

 家人が地方に出かけていて、今朝は久しぶりに一人の朝だ。一人でも規則正しく起きられることに感謝。一昨日、喉が痛くて熱が出た。その日は一日中床の中。市販の薬(葛根湯入り)と、プロポリス入りの飴、そして蜂蜜漬けの高麗人参の破片を口に含んで一日をだらりと過ごした。  

 健康を取り戻して、食欲も戻り、健康が一番だと今更のように思い、日常生活復帰に喜びを見出せることに感謝する。夜明けに起き、中国茶を飲み、朝刊が来るまでパソコンをいじり、お腹が空いてきたので自分ひとり用の朝食を済ます。  

 来月のソウル行きを控えて、何かと準備に余念がない。少しずつ集まり出した原稿の中には、手書きのものもあるので、その入力だってけっこう神経使う。表紙の写真も決まった。コンテンツと裏表紙も含めて3枚の原本を送ってもらうことになっている。200枚近い写真ファイルから適当なものを選ぶ作業も、これで4回目だが、やはり大変な作業だ。  

 表紙が決まったので、カバーストーリーを頼んでいた詩人に添付ファイルで送る。インスピレーションが湧いてくれるといいのだが。今月末には注文原稿は揃う。後は、11月の取材原稿さえまとめれば終わる。年末年始に編集、印刷作業に入れればいいのだが。結局ソウルが一番冷えるときの作業が多い。凍った道で転倒しないようにしなければ。

2008/10/19

振り込め詐欺に思う。

 はっきり言って、馬っ鹿じゃなかろうか。親バカにつけ込んだ巧妙な犯罪だと思うが、これは多分に日本的な現象だ。親子のコミュニケーションがない、小金持ちがうようよいる、精神的に自立してない老人が多い、子供の無関心などなど。今の日本を端的に表している。

  私は電話の声で相手のおおよその知性がわかる。声には知性が出てくるものだ。セールスマンで知性に溢れた人、いまだかつて耳にしたことがない。だからセールスの類は電話でシャットアウトできる。  

 息子や孫息子にいくらそっくりだと言ったって、何も考えずにいうとおり大金を振り込むなんて正気の沙汰とは思えない。この詐欺を考え付いた奴は相当にしたたかに、病んだ日本の現状を把握した奴に違いない。 
 
 小金持ちのおじさん、おばさん、自分の胸に手を当てて、よーく反省してほしい。そんな電話をしてくるような息子や孫息子を育てたってことだからね。自業自得だ。同情なんかする気にもなれない。

2008/10/15

BoAちゃん

 Naver Blogで知り合った大のBoAファンの男の子。うちではBoAちゃんと呼んでいる。1983年生まれでソウルの住所、家族のこと、それと彼の携帯番号だけを知っている。昔から日本語を勉強していて、J-Popはもちろん、日本のTVドラマ、映画については私よりずっと詳しい。 

   その彼から一昨年だったか、時々メールが来るようになった。たどたどしい日本語なのだが、言いたいことはよくわかる。昨年からは、ほとんど毎日メールが来る。今では私が彼の日本語作文を添削しては返送している。こちらの正体は明かしていない。東京に暮らす既婚女性だということは知らせてある。日本語を添削しているので、彼は私のことを「先生」と呼ぶ。 

   今度11月にソウルに行ったら、食事かお茶か、とにかく一度会いましょうということになった。韓国で使っている私の携帯番号も教えた。会ったら、びっくりするだろう。彼が思い描いていた「先生」と実際の私とのギャップが大きいように思えるからだ。 

   彼は今まで日本語能力試験を受けたことがなく、自学自習で好きなように日本語の勉強を続けてきた。この秋になって突然、「僕、12月に日本語能力試験の3級を受けることにしました。」と書いてきて、私はもうびっくりしたのだ。かなりの意欲を示していて、この1年以上の私とのメールのやりとりが無駄に終わらなかったんだと、妙にうれしくもなった。 

   彼のブログを見ると、2級ぐらいの実力がありそうなのだが、慎重なBoAちゃんのこと、まずは3級から挑戦するということらしい。ベストを尽くして、合格できますようにと祈るばかりだ。 

2008/10/12

Sentimentalism

 韓国版Free TEMPOと言ったらいいかもしれない。一度聞いたら忘れられない。アーティストの名前はSentimetal Scenery。下のリンクをコピーして、Web上でその音楽を聞いて見て下さい。

       http://blog.naver.com/stessa/60056082808

2008/10/11

モンスター・ペアレント

 10月7日付毎日新聞夕刊。私のお気に入りコラムニスト、牧太郎氏の「大きな声では言えないが...」という毎週火曜日のコラムを読んで、ぶっ飛んだ。題して「亡国の親バカ」。一部を引用する。 

   「うちの子は塾通いで疲れているので、授業中は寝かせてくれ」と要求する保護者がいる。「背の高い子と低い子を並んで写真を撮られた。配慮に欠ける」と文句を言う親がいる、と聞いた。そんなバカな? 

 世の中には、何かにつけて「いちゃもん」をつける人はいるが......理不尽な。モンスター・ペアレントとか言われる「親バカ」の対応に、教師はきゅうきゅうとして「まともな授業ができない」と漏らす先生もいる。 

 この異常な自己中(心主義)。「校内暴力を経験した人たちが親になったから、もともと教師を尊敬する意識がない」と解説する向きもあるが、この「自己中」が日本を劣化させる。  

 と、こんな具合の内容だ。自己中が増えているのは、帰国して実感していることだが、親バカにも程がある。モンスター(化け物)と言われてもしょうがないわ。電車に乗ったってわかるじゃない。衆人環視の中、平気の平左で化粧している、美しさとは程遠い女性たち、飲物まではしかたないとしても、パンを平気な顔してパクパク食っているバカ者。彼女ら彼らはその醜態を曝け出しているというだけで、公共の利益に反するのだ。「恥」ということをまったく知らない、モンスター・チルドレン。羞恥心という言葉は一体どこに行ってしまったのだろう。 

   これらの現象は実は若者だけに見られるわけではない。いい年したおっさん、おばはんの中にも、高齢者の中にも存在する。年齢、世代では論じられなくなってきている。日本に蔓延する「羞恥心?、それってなに?」現象である。 

   先日のワコール大バーゲン会場でも、羞恥心欠如の女性たちを私は目の当たりにした。こういう小金持ちたちが今の自民党政権をしっかり支えているんだなあと苦々しい気分になった。引退した小泉。親バカ丸出しの引退ショーである。小泉を支持した母体は30代および60代以上の保守化した女性たちがそのほとんどを占めていたと聞く。小泉チルドレンなんかに踊らされたのもこの連中である。  

 日本ぐらいよ。政権交代もまともに出来ない国は。恥ずかしい。私の羞恥心の持って行き所が、ない。ああ、情けない。

2008/10/09

11月ソウル行き

 1年半ぶりのソウルだ。大気汚染は更に進んでいるだろうし、11月半ばと言えば、既にかなりの寒さに’なっていることだろう。冬には比較的強いのだが、東京とソウルでは寒さの質が違う。湿度が低いので、じとっとした、肌にまとわりつく寒さはないが、零下になると、寒いというより、肌が痛いという感じになる。東京のように海風は吹かないが、周囲を小高い山に囲まれているため、盆地の寒さといったらわかりやすいだろうか。  

 必然的に荷物は増える。11月に入ればコートを着ていくだろう。タートルのTシャツ、タートルのセーターは必需品だ。それにストール、マフラーの類。手袋も。そうだ、帽子も。室内は暖かすぎるほどの暖房だから、重ね着をしていくしかない。取材で歩くだろうから靴はスニーカーだね。 

 1週間の滞在予定だ。3つの取材と、出版社の社長との打ち合わせ、あとは友人たちと旧交を温めてきたい。仕事がらみと言っても、食事はきちんととらないとならない。一日2食は誰かと食べるとして、家人がやってくるまでの9食、誰と食べるか思案中である。  

 週末は自称息子と食事することになっている。彼も職業柄平日は時間が取れないのだ。先日出張でドイツに行ったそうなので(これが彼の最初の海外体験)、その時の話もいろいろ聞きたい。  

 晋州時代の友人も、もしかしたらソウルに来るかもしれない。食事もして散歩もしようと彼女は言う。うまく彼女のスケジュールが合うといいのだが。ぜひ会いたい。  

 あとは、7月に東京見物にやって来たM君。明洞(ミョンドン)が勤務先なので、いつでもお昼をごちそうしますとメールが来た。それと写真家のG君。彼とは打ち合わせも含めて食事したいと思っている。  

 前々から決めていても、ダメなときはダメなものだ。急に決めると、韓国では歓迎される。急に決まって急に施行され、いろいろミスに気が付いて慌てて修復。これ、韓国式。  人間、その日の気分だってある。前々から決めていても、天気や気分でどうしても気が進まなくなることだって多い。その日のことはその日に決める。非常にわかりやすく単純だ。  私からの突然の電話に当惑する人は断ってくれればいいのだし、今までの経験では、急な連絡の方が、人が集まる。さて、11月はどうなるか。

2008/10/07

秋夕(チュソク)は旧盆ではない。

 10月6日付け毎日新聞夕刊「アジアNOW」というコラム「クォン・サンウ電撃結婚」という記事(ライター=瀧谷由紀)を見て、「ああ、またか」と思った。文章の出だしで「チュソク(旧盆)」と書いているのだ。 

 Gamila日記で何度も触れたように、韓国の秋夕(チュソク)は日本の旧盆とは異なる行事である。「中秋の名月」を仰いで、秋の実りを祈る行事だ。もちろん故郷に家族が集まり、お墓参りもするし、民族大移動のために高速道路は渋滞になる。その点は旧盆に似ているが、行事の趣旨は全く違う。どうしていつまでも間違った情報がまかり通るのか。ライターと称しているのであれば、きちんと勉強してほしいものだ。プロで食ってるのならなおさらだ。

 韓国には名節(ミョンチョル)と呼ばれている行事が年2回ある。1つがソルラル、もう1つがこのチュソクである。ソルラルは旧正月のことで、中国でも同じように行われる。横浜の中華街で爆竹が鳴るニュース、よく見るでしょ。旧暦の正月だから毎年時期が移動する。

 チュソクも旧暦で行われるから毎年日にちがずれていく。私が経験した最も早いチュソクは8月の末だった。あとは大体9月、遅くて10月だ。8月末がチュソクだった年、1997年だったが、あの年の冬は寒かった。  

 ついでに書いておくと、日本の春分の日、秋分の日のお墓参りの習慣は韓国にはない。韓国では亡くなった人の命日に家族が集まる。お盆の習慣もない。迎え火、送り火をして死者を祀るということはない。これは仏教から来たのか、あるいは神仏混合的なものなのか、私はよく知らない。  

 韓国では国民の3割がクリスチャン、仏教徒も3割、残りは無宗教か、在来宗教である。日本はクリスチャンが人口の1%しかいないし、仏教に関しては葬式仏教だ。それでも8月の旧盆の民族大移動はいまだに続いている。宗教的儀式というより生活習慣だと考えてもいいような気がする。  

 「中秋の名月」を祝い、秋の実りを祈る秋夕(チュソク)を日本の「旧盆」になぞらえるのはもうやめにしてほしい。

2008/10/03

チェ・ジンシルの死

 韓国のトップスター、崔真実(チェ・ジンシル)が10月2日の早朝、亡くなった。まだ40歳という若さで、自殺したと報道されている。
 
 「私の人生最後のスキャンダル」という人気ドラマをついこの間まで見ていたので、あのコミカルな演技と魅力的な姿態がいまだに生々しく残っていて、どうにもその死が信じられない。

 2005年から今年に至るまで、韓国では芸能人の自殺が相次いでいる。私が知っているだけでも5人いる。それも現役のバリバリばかりだ。それだけ社会的衝撃は大きく、ネチズンたちの反応もすさまじい。

 韓国は世界有数のインターネット大国だ。その分、ネチズンの度の過ぎた書込みも多く、芸能人でなくとも傷ついた人々は数知れないだろう。その背景には、肖像権、知的所有権に対する認識の低さがある。

 今でこそ、両者に対する権利意識、守秘義務など少しずつ浸透してきたといえるが、それまではコピーのし放題で、それは画像に限らず、書籍に至るまで、平気で人の労作を簡単にコピーしてしまうという無神経ぶりが目立った。あれほど米国の影響が強い国で、なぜ、この点に関しては、米国を見習わなかったのか、不思議である。

  チェ・ジンシルの死の直接的な原因はわからない。わからないが、どうやらネチズンによる根も葉もない噂に悩んでいたことは確からしい。それにしても離婚後、あんなにたくましく雄雄しく女優業に専念していたのに、突然、ポキッと折れてしまったのか。彼女のたくましさに尊敬さえ抱いていただけに、その死が惜しまれてならない。

 彼女の死は韓国社会の病んだ一面を曝け出したように思える。軍事政権から民主国家になって、たかだか16年ぐらいしか経っていない。今、韓国社会のあちこちでひずみが浮き彫りになってきている。彼女の死をきっかけに少しでも改善されればいいのだが。