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2008/11/25

因縁

 韓国人の3割がクリスチャン、仏教徒も3割、残りは無宗教あるいは民間宗教、新興宗教である。クリスチャンが1%にも満たなくて、仏教といったって葬式仏教に堕している日本からすると、韓国は、日常生活の中で宗教の占める位置がかなり高い国だといえる。  
 韓国人と実際に関わるようになって10年あまり経った。その前の数年は書物などを通しての韓国人像だったので、読むと見るとでは大違いの彼らの実態に触れるようになって、私の人生はかなり大きく変貌したといえる。この間にどれだけ多くの韓国人に出会ったかわからない。でも、今でも付き合いが続いている人々は限られてくる。  
 「縁」「因縁」という言葉はとてもありがたい。英語圏には存在しないこの言葉、日韓ではよく使われるし、この言葉一つで話が通じるからだ。인연(因緣)は仏教から来た言葉だと思うが、この10年あまりの彼らとの付き合い、変遷の中で、自然淘汰されていくように互いに必要な人々だけが残ったという感じがしてしょうがない。今たとえ縁が切れていたとしても、縁があればまた会えるという思いもある。  
 今回のソウル行きで彼ら10年組のうち何人かと会った。お互いにまだ若かった時の記憶はあるけれど、目の前で笑っている彼らや私の気持ちは当時とほとんど変わっていない。それにしても10年という歳月は長い。長い独身生活に別れを告げ、結婚して家庭を構えた人、当時、日本語がほとんど話せなかったのに猛勉強して東京に留学し(国費留学)、博士号まで取って帰国した人、あの頃まだ中学生だった娘の結婚問題でやきもきしている友人、癌を克服して再出発した人、今までの商売を畳んで、来年から新しいビジネスに再挑戦する友人などなど、本当にひとくちに10年と言っても、さまざまな人生があったのだ。  
 その間に私は雑誌を6号出した。忘れた頃に出してきたけど、雑誌の名前だけはみんな覚えてくれている。来年1月、3年ぶりに7号が出るが、続けていて本当によかったと思う。雑誌を媒体にして私が韓国とつながっているような気がするからだ。それがたとえ幻想に過ぎないとしても、笑顔で迎えてくれる彼らチングがいるだけで、私は満足である。

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