大学って、今の日本でどういう意味を持つ機関なんだろうと、ふと思うことがある。「風俗にお勤めですか?」と聞いてしまいたいような格好の女子大生を見かけたりすると、こんなアホみたいな娘に高い学費を払っている親の顔を想像してはげっそりしたりする。
政治にも今の日本の現状にも何の疑問も持つことなく、電車に乗れば、知性のかけらもない顔に化粧を施し、ランジェリーまがいの品のない服装に身を包み(いや、包んでないね、身を曝け出し)、親のすねを丸かじり、挙句の果てに就職まで親掛りだったりする子女もいると聞いた。
男子学生はと見れば、そんな同世代のけばいお嬢さんたちにおびえ、草食男子はひたすら社会の片隅で事なかれ主義に徹するというわけだ。我が学生時代と比較すると、雲泥の差だ。我々の頃は貧しくとも、志があったよね。なんて、こんなことを言うこと自体が年取ったということなんだろうけど、まあ目を覆わんばかりの最近の大学生事情だ。
そんな大学生を指導する教師、そして大学当局は意識改革した方がいいかもね。若年人口は減少の一途を辿っている。いっそのこと「象牙の塔」などと権威をカサに着ないで、実態に即して「モラトリアム・レジャーランド」だとはっきり表明したらどうだろうか。もっとも、いい意味での「象牙の塔」はとっくの昔に瓦解してるね。大学は随分前から若者争奪戦のスカウト集団に成り下がっていたんだね。
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2017/02/12
2017/02/05
腹の立つ高額報酬者のリスト
このリスト、どこからコピーしたか忘れた。毎年、更新しているのだろうか。
最新のものがあるのかもしれないが、とりあえず、PCにあるこのリストをアップした。
表示が小さくて読みにくいと思う。画面をクリックすると、拡大画面が現れる。とくとごらんあれ。
2017/02/02
陰険体質JTB
これは、2009年1月31日に公開したブログです。
引き続き私は腹を立てている。もっともこの腹立ちは今を遡ること10年以上前から続いているものだ。そう20世紀末の話になる。
大体私は一流企業と世間で言われている企業とそりが合わない。なぜだかわからないが、とにかく気に入らない企業が多いのだ。その主な理由のひとつに、その傲慢さがある。エリート意識もえらく強いと来てる。
JTB=Japan Travel Bureau。昔は日本交通公社と言っていたから、半官半民の会社だったんだね。半官半民。これはけっこう質が悪い。公社と名のつく所に碌な所はないというのが私の持論だ。
でもこの公社に入るには、いい学校を出ていないと入れない。JTBは東大閥だと聞いたこともある。東大閥でも何でもいいけど、要は仕事をちゃんとやってほしいということだ。旅行会社というのは個人情報をかなり抱え込んでいるはずだ。顧客との信頼関係の上に成り立っている職種である。
それが、信用できないことが20世紀末にあったのだ。なんとも不愉快極まりない電話1本のために私は頭から湯気を出して、抗議しようかと思ったが、相手のストーカー行為と見まごう言動に気味が悪くなって、一切無視したのだ。無視したものの、その陰険かつねちっこい態度は決して許していない。エネルギーさえあれば、訴訟だってすればよかったのだが、もはや時効も過ぎてしまっただろう。
私にできることは、JTB某支店の中年男に対する怒りと軽蔑に満ちた文章をブログで公開することしかない。
といっても事細かい経緯を明確に覚えているわけではない。プロセスより怒りの方が強く記憶されてしまったのだからしょうがない。個人情報を握っている者にしかできない電話をし、顧客を馬鹿にし、薄っぺらなエリート根性を曝け出した、その男、まだJTBで働いているのだろか。働いているとしたら、さすがJTB、人を見る眼がないね。
あるいはとっくに定年退職でもしたか。どうでもいいけど、職場から去って、家庭でも地域でも嫌われているだろうな。
一流企業という名にあぐらをかいているそこのおっさん、あんたは相当のおバカさんだということ、死んでも自覚しないだろうね。バカは死んでも治らない。
引き続き私は腹を立てている。もっともこの腹立ちは今を遡ること10年以上前から続いているものだ。そう20世紀末の話になる。
大体私は一流企業と世間で言われている企業とそりが合わない。なぜだかわからないが、とにかく気に入らない企業が多いのだ。その主な理由のひとつに、その傲慢さがある。エリート意識もえらく強いと来てる。
JTB=Japan Travel Bureau。昔は日本交通公社と言っていたから、半官半民の会社だったんだね。半官半民。これはけっこう質が悪い。公社と名のつく所に碌な所はないというのが私の持論だ。
でもこの公社に入るには、いい学校を出ていないと入れない。JTBは東大閥だと聞いたこともある。東大閥でも何でもいいけど、要は仕事をちゃんとやってほしいということだ。旅行会社というのは個人情報をかなり抱え込んでいるはずだ。顧客との信頼関係の上に成り立っている職種である。
それが、信用できないことが20世紀末にあったのだ。なんとも不愉快極まりない電話1本のために私は頭から湯気を出して、抗議しようかと思ったが、相手のストーカー行為と見まごう言動に気味が悪くなって、一切無視したのだ。無視したものの、その陰険かつねちっこい態度は決して許していない。エネルギーさえあれば、訴訟だってすればよかったのだが、もはや時効も過ぎてしまっただろう。
私にできることは、JTB某支店の中年男に対する怒りと軽蔑に満ちた文章をブログで公開することしかない。
といっても事細かい経緯を明確に覚えているわけではない。プロセスより怒りの方が強く記憶されてしまったのだからしょうがない。個人情報を握っている者にしかできない電話をし、顧客を馬鹿にし、薄っぺらなエリート根性を曝け出した、その男、まだJTBで働いているのだろか。働いているとしたら、さすがJTB、人を見る眼がないね。
あるいはとっくに定年退職でもしたか。どうでもいいけど、職場から去って、家庭でも地域でも嫌われているだろうな。
一流企業という名にあぐらをかいているそこのおっさん、あんたは相当のおバカさんだということ、死んでも自覚しないだろうね。バカは死んでも治らない。
空気が読めない人びと
これは、2010年4月に公開したものです。
空気が読めない、即ちKYについて。相手の気持ちを汲み取ることのできない人々が増えた。
茶道を長らくおやりになっている女性がいる。茶道の極意は何かと言えば、それはまさに「相手の気持ちを察する」ということである。ところがその知り合いの女性、「察する」という言葉が彼女の辞書にない。何を長らく茶道なぞやっているのか、皆目わからない。とにかく「察しの悪い人」なのだ。
察しの悪い人ほど付き合いきれない人はいない。一を聞いて、十を知れとは求めないけれど、せめて三ぐらいまでは察しなさいと言いたい。でも言えないんだなあ。
現代人はみな自分が忙しくてしかたがない(と思い込んでいる)日々を送っている。家電製品で家事が効率よく片付いていくはずだというのに、「家電のおかげで、私暇よ」なんて言う主婦に会ったことがない。何にみんな振り回されているのだろうか。いわゆる情報だろうか。
情報だってピンからキリまである。頭を使わない人ほどくだらない情報に振り回されて、買う必要のないブランド品に囲まれ、そこから自由になれず、ネズミがくるくると回転車を走るように眠りにつくまで身体を動かし続ける。身体は動かすけど、頭の方はねえ。怪しいものだ。
まず相手の話によく耳を傾けること。忙しがってばかりいても何にもならない。瞑想する時間を少しでも設けることを私は提案したい。「ねずみの時間、象の時間」という新書版があったけど、できることなら「象の時間」で後半生をゆったり過ごしたいものだ。
空気が読めない、即ちKYについて。相手の気持ちを汲み取ることのできない人々が増えた。
茶道を長らくおやりになっている女性がいる。茶道の極意は何かと言えば、それはまさに「相手の気持ちを察する」ということである。ところがその知り合いの女性、「察する」という言葉が彼女の辞書にない。何を長らく茶道なぞやっているのか、皆目わからない。とにかく「察しの悪い人」なのだ。
察しの悪い人ほど付き合いきれない人はいない。一を聞いて、十を知れとは求めないけれど、せめて三ぐらいまでは察しなさいと言いたい。でも言えないんだなあ。
現代人はみな自分が忙しくてしかたがない(と思い込んでいる)日々を送っている。家電製品で家事が効率よく片付いていくはずだというのに、「家電のおかげで、私暇よ」なんて言う主婦に会ったことがない。何にみんな振り回されているのだろうか。いわゆる情報だろうか。
情報だってピンからキリまである。頭を使わない人ほどくだらない情報に振り回されて、買う必要のないブランド品に囲まれ、そこから自由になれず、ネズミがくるくると回転車を走るように眠りにつくまで身体を動かし続ける。身体は動かすけど、頭の方はねえ。怪しいものだ。
まず相手の話によく耳を傾けること。忙しがってばかりいても何にもならない。瞑想する時間を少しでも設けることを私は提案したい。「ねずみの時間、象の時間」という新書版があったけど、できることなら「象の時間」で後半生をゆったり過ごしたいものだ。
2017/01/28
不安定な春、そしてモンペ(モンスターペアレント)
2009年春に公開したポストです。
毎年のことだけど、春は等圧線が立て込んでくる。暖かくなったと思ったら、寒気団が南下して、花粉症の症状も時々顔を出し、そうこうするうちに一気に花が咲いて、初夏の陽気になる。寒さに強い私としては、憂鬱な春の到来、そして蒸し暑さへの移行に絶望するだけである。
毎年のことだけど、春は等圧線が立て込んでくる。暖かくなったと思ったら、寒気団が南下して、花粉症の症状も時々顔を出し、そうこうするうちに一気に花が咲いて、初夏の陽気になる。寒さに強い私としては、憂鬱な春の到来、そして蒸し暑さへの移行に絶望するだけである。
季節だけではない。生命力に満ち溢れているということに、私はどうも嫌悪感があるようだ。だから世の中に溢れている愚かな母親たちには憎悪さえ抱くことがある。なぜか。自分の子供のことしか頭にないからだ。子供は母の所有物ではない。にもかかわらず、子供にべったりの母親が充満している。遺伝子レベルで言うと、子供への愛はすなわち自己愛である。過剰な自己愛は見苦しいだけだ。
モンスター・ペアレント(モンペ)と呼ばれている親がいるそうだ。昔からこういう親はいたのかもしれないけど、今のように目立つ存在ではなかった。それは生活に困らない程度の、余裕ある生活が生み出したものかもしれない。
そのターニング・ポイントは1960年だろうと私は見ている。この年に生まれた人々も今や50歳を目前にした連中だ。どうも質が悪い。この世代を育てた親世代は昭和一桁だ。この世代も質が悪い。両世代に共通しているのは物質万能主義だ。なぜかルイ・ヴィトンのバッグを持っている。それがちっとも似合っていない。
中学生になるまで天孫降臨を信じ込ませられ、敗戦を迎えたとたんに民主主義を移植された昭和一桁世代にしてみれば、疑心暗鬼になるのが普通だと思えるのだが、それがそうでもない。世の中の流れになんの疑問も持たずに流されていったというのが大半で、常に疑ってかかるという人々はこの世代の少数派に属する。
日和見の親に育てられれば、その子供が日和見になるのは自然の法則だ。自分が今何をしたいのかではなく、世の中がこうだからそれに身を任せるという輩が多い。そして1960年世代がまた子供を産むと、それは次々に拡大生産されていくだけだ。この親子関係は携帯電話でつながっている。携帯でやり取りする前に、じかに顔を見て話したらどうでしょうか。情報に踊らされ、自分の子供の限界も見極められずに権利だけうるさく主張するというモンペの存在は百害あって一利なし。
2017/01/26
何が働き方改革だ!
政府主導の働き方改革。ちゃんちゃらおかしい。過労死、過労自殺がメディアで騒がれてから久しい。電通の過労自殺など、氷山の一角だ。政府も重い腰を上げて、残業はするな、金曜日は早く帰れなどと能天気なことを言っているが、政府の掛け声と企業の利益追求が結びつくと、もっとひどい事態になる。
サービス残業を自宅に持ち帰ってしたり、夜10時の消灯後、社内で自前の明かりをつけて徹夜し、翌朝、机に突っ伏して寝込んでいる社員が増えたという新聞記事を読んで、またもや安倍政権の「きれいごと掛け声ばかり、いらんこと本質を見抜かない」、どうしようもない愚かな体質に腹が立つのである。
コンピューターの導入が始まって以来、人員削減が始まったのだが、コンピューターのおかげで仕事量が増え、その効率優先のせいで正社員では対応出来ず、派遣社員を雇ったり、派遣会社がすきま産業として業績を上げたりと、これはもう、人権無視、命を大事にしない、人間の奴隷化(コンピューターに支配されたという意味で)が蔓延している。
電車やバス一つを考えてみよう。昔昔は運転手さんと車掌さんが同乗していた。バスに乗ると、車掌さんが切符を切りに車内を回り、幼い子を連れて乗るお母さんたちを助けたり、お年寄りが乗るのを助けたりと、車内の状況を把握した上で、「発車オーライ」と言って、バスは動いていた。
それが、半世紀前からワンマンバスになって、運転手さんがお金のやり取り、車内の安全をすべて受け持って運転するという、神業的な業務を強いられるようになった。過労で運転に支障が出る事故も最近増えた。そもそも、そんな激務のバスの運転手になる人が減ってきて、東京では、バスの運転手不足が言われて久しい。
電車も同じことだ。地下鉄など、「これはワンマン電車です」というのが増えた。乗ってからの不測の事態をどうやって一人で対応するというのか。ホームから転落するという悲劇が繰り返されているが、電車に乗る前にすでに人手不足の弊害が起こっている。ホームに駅員がいれば、目の不自由な人を手助けするくらい十分できるはずではないか。
トラックの運送だってそうだ。何もかも一人で責任を負わされている。事故に遭ってもそれは自己責任にされる。遠距離高速バスの事故が絶えないのは、このところの規制緩和で、安全よりも利益を追求するバス会社が増えたからである。
コンピューターという存在があっても、コンピューターに出来ないことはいくらでもある。あるのに、効率だけ追うから、人権無視の労働現場が次々に現れ、人の命を脅かしているのだ。これはもう、機械による、人間抹殺の時代に私たちは生きているということである。
バスも電車も車掌さんを雇えば、現場の雇用は2倍になる。超高齢化社会の日本では、かゆい所に手の届くサービス、コンピューターにもAIなんかにも出来ない、人間味あふれた本来のサービスがもっと重要視されてもいいのではないか。
チャップリンの「モダンタイムス」が喝破した人間不在の不気味な産業構造をもう一度見直さなければ、過労死も過労自殺もなくならないだろう。人間復活のチャンスは今こそあるのだ。
目前の利益に奔走して判断を誤った東芝という愚かな企業に象徴されるように、日本の企業はあまりにも人権を無視してきた。企業側はもう一度、原点に戻って人間優先の会社、社会の構築に全エネルギーを傾けてはどうだろうか。遅すぎるということはない。気が付いたときに改めればいいのだ。
サービス残業を自宅に持ち帰ってしたり、夜10時の消灯後、社内で自前の明かりをつけて徹夜し、翌朝、机に突っ伏して寝込んでいる社員が増えたという新聞記事を読んで、またもや安倍政権の「きれいごと掛け声ばかり、いらんこと本質を見抜かない」、どうしようもない愚かな体質に腹が立つのである。
コンピューターの導入が始まって以来、人員削減が始まったのだが、コンピューターのおかげで仕事量が増え、その効率優先のせいで正社員では対応出来ず、派遣社員を雇ったり、派遣会社がすきま産業として業績を上げたりと、これはもう、人権無視、命を大事にしない、人間の奴隷化(コンピューターに支配されたという意味で)が蔓延している。
電車やバス一つを考えてみよう。昔昔は運転手さんと車掌さんが同乗していた。バスに乗ると、車掌さんが切符を切りに車内を回り、幼い子を連れて乗るお母さんたちを助けたり、お年寄りが乗るのを助けたりと、車内の状況を把握した上で、「発車オーライ」と言って、バスは動いていた。
それが、半世紀前からワンマンバスになって、運転手さんがお金のやり取り、車内の安全をすべて受け持って運転するという、神業的な業務を強いられるようになった。過労で運転に支障が出る事故も最近増えた。そもそも、そんな激務のバスの運転手になる人が減ってきて、東京では、バスの運転手不足が言われて久しい。
電車も同じことだ。地下鉄など、「これはワンマン電車です」というのが増えた。乗ってからの不測の事態をどうやって一人で対応するというのか。ホームから転落するという悲劇が繰り返されているが、電車に乗る前にすでに人手不足の弊害が起こっている。ホームに駅員がいれば、目の不自由な人を手助けするくらい十分できるはずではないか。
トラックの運送だってそうだ。何もかも一人で責任を負わされている。事故に遭ってもそれは自己責任にされる。遠距離高速バスの事故が絶えないのは、このところの規制緩和で、安全よりも利益を追求するバス会社が増えたからである。
コンピューターという存在があっても、コンピューターに出来ないことはいくらでもある。あるのに、効率だけ追うから、人権無視の労働現場が次々に現れ、人の命を脅かしているのだ。これはもう、機械による、人間抹殺の時代に私たちは生きているということである。
バスも電車も車掌さんを雇えば、現場の雇用は2倍になる。超高齢化社会の日本では、かゆい所に手の届くサービス、コンピューターにもAIなんかにも出来ない、人間味あふれた本来のサービスがもっと重要視されてもいいのではないか。
チャップリンの「モダンタイムス」が喝破した人間不在の不気味な産業構造をもう一度見直さなければ、過労死も過労自殺もなくならないだろう。人間復活のチャンスは今こそあるのだ。
目前の利益に奔走して判断を誤った東芝という愚かな企業に象徴されるように、日本の企業はあまりにも人権を無視してきた。企業側はもう一度、原点に戻って人間優先の会社、社会の構築に全エネルギーを傾けてはどうだろうか。遅すぎるということはない。気が付いたときに改めればいいのだ。
Never Too Late.
2017/01/19
奢れる者は久しからず 宮内庁および天皇制
2010年に公開したブログです。
このところ天皇の孫娘が不登校になったとか、孫息子が幼稚園の三年保育に入ったとか、普通のニュースでちょいちょい放送されている。皇室関係、皇族関係のニュースを耳にするたびに私なぞは「国民の税金を使いおってからに」などと憤懣やるかたない気分になる。皇族一人当たりの生活費が年間2,000万円は下らないという話を聞くにつけ、OECD国の中で貧しい国ワースト4に入っている日本としては「皇族どころの話ではないんじゃないのか」などと思ってしまう。
憲法9条は遵守されるべきだし、日本国憲法に謳われている平和、基本的人権の尊重などはUSAのおかげとはいえ、世界に誇る平和憲法として誇らしく思える。ただ象徴としての天皇制を残したのはどうもいただけない。外国からお客が来ると、その国の元首が謁見することになっていて、日本の場合は天皇がその役目を果たす。民主主義国家と言っても、外国から見れば天皇のいる不思議な国であることは間違いない。
なぜ象徴としての天皇制を残したのか。皇族を含めると年間の予算はどのくらいになるのかわからないが、皇居の清掃(主にタバコの吸殻集め)を東北あたりからやってきた主婦たちが「ありがたがって」やっているのを見るにつけ腹が立つ。そのお礼として彼女たちは菊のご紋の入ったタバコを一箱ずつ恭しくもらうのだ。禁煙が当たり前のようになった昨今、まだ皇居の吸殻集めが行われているのかどうかよく知らない。
適応障害になっても美しい笑みを絶やしてはいけない皇太子妃、発達障害もしくは自閉症あるいはアスペルガー症候群ではないかと憶測されている皇太子の娘、やたら子供の数ばかり多く、気味の悪い微笑を浮かべ続ける皇太子の弟の奥さん、誰ひとりとっても尋常に見えない。
同じ人間として不憫に思うのが普通だろう。余計な税金をかけるくらいなら、皇居の緑も皇居自体も開放して都民の憩いの場所にすればいい。平和憲法にそぐわない基本的人権が唯一侵害されている天皇制、今世紀じゅうに何とかならないものか。
虫愛ずるあまり頭のよくなさそうな唯一の孫息子が知恵が回るとは思えない。我々の感覚にやや近いと思われる白髪のない皇太子が革命的発言をして「僕、もうやーめたっ」と、ひと言言えば済むものを。
宮内庁の時代がかったアナクロニズムとエリート権威主義をばさっと切ってくれる人はいないものか。
このところ天皇の孫娘が不登校になったとか、孫息子が幼稚園の三年保育に入ったとか、普通のニュースでちょいちょい放送されている。皇室関係、皇族関係のニュースを耳にするたびに私なぞは「国民の税金を使いおってからに」などと憤懣やるかたない気分になる。皇族一人当たりの生活費が年間2,000万円は下らないという話を聞くにつけ、OECD国の中で貧しい国ワースト4に入っている日本としては「皇族どころの話ではないんじゃないのか」などと思ってしまう。
憲法9条は遵守されるべきだし、日本国憲法に謳われている平和、基本的人権の尊重などはUSAのおかげとはいえ、世界に誇る平和憲法として誇らしく思える。ただ象徴としての天皇制を残したのはどうもいただけない。外国からお客が来ると、その国の元首が謁見することになっていて、日本の場合は天皇がその役目を果たす。民主主義国家と言っても、外国から見れば天皇のいる不思議な国であることは間違いない。
なぜ象徴としての天皇制を残したのか。皇族を含めると年間の予算はどのくらいになるのかわからないが、皇居の清掃(主にタバコの吸殻集め)を東北あたりからやってきた主婦たちが「ありがたがって」やっているのを見るにつけ腹が立つ。そのお礼として彼女たちは菊のご紋の入ったタバコを一箱ずつ恭しくもらうのだ。禁煙が当たり前のようになった昨今、まだ皇居の吸殻集めが行われているのかどうかよく知らない。
適応障害になっても美しい笑みを絶やしてはいけない皇太子妃、発達障害もしくは自閉症あるいはアスペルガー症候群ではないかと憶測されている皇太子の娘、やたら子供の数ばかり多く、気味の悪い微笑を浮かべ続ける皇太子の弟の奥さん、誰ひとりとっても尋常に見えない。
同じ人間として不憫に思うのが普通だろう。余計な税金をかけるくらいなら、皇居の緑も皇居自体も開放して都民の憩いの場所にすればいい。平和憲法にそぐわない基本的人権が唯一侵害されている天皇制、今世紀じゅうに何とかならないものか。
虫愛ずるあまり頭のよくなさそうな唯一の孫息子が知恵が回るとは思えない。我々の感覚にやや近いと思われる白髪のない皇太子が革命的発言をして「僕、もうやーめたっ」と、ひと言言えば済むものを。
宮内庁の時代がかったアナクロニズムとエリート権威主義をばさっと切ってくれる人はいないものか。
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