空気が読めない、即ちKYについて。相手の気持ちを汲み取ることのできない人々が増えた。
茶道を長らくおやりになっている女性がいる。茶道の極意は何かと言えば、それはまさに「相手の気持ちを察する」ということである。ところがその知り合いの女性、「察する」という言葉が彼女の辞書にない。何を長らく茶道なぞやっているのか、皆目わからない。とにかく「察しの悪い人」なのだ。
察しの悪い人ほど付き合いきれない人はいない。一を聞いて、十を知れとは求めないけれど、せめて三ぐらいまでは察しなさいと言いたい。でも言えないんだなあ。
現代人はみな自分が忙しくてしかたがない(と思い込んでいる)日々を送っている。家電製品で家事が効率よく片付いていくはずだというのに、「家電のおかげで、私暇よ」なんて言う主婦に会ったことがない。何にみんな振り回されているのだろうか。いわゆる情報だろうか。
情報だってピンからキリまである。頭を使わない人ほどくだらない情報に振り回されて、買う必要のないブランド品に囲まれ、そこから自由になれず、ネズミがくるくると回転車を走るように眠りにつくまで身体を動かし続ける。身体は動かすけど、頭の方はねえ。怪しいものだ。
まず相手の話によく耳を傾けること。忙しがってばかりいても何にもならない。瞑想する時間を少しでも設けることを私は提案したい。「ねずみの時間、象の時間」という新書版があったけど、できることなら「象の時間」で後半生をゆったり過ごしたいものだ。
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