サービス残業を自宅に持ち帰ってしたり、夜10時の消灯後、社内で自前の明かりをつけて徹夜し、翌朝、机に突っ伏して寝込んでいる社員が増えたという新聞記事を読んで、またもや安倍政権の「きれいごと掛け声ばかり、いらんこと本質を見抜かない」、どうしようもない愚かな体質に腹が立つのである。
コンピューターの導入が始まって以来、人員削減が始まったのだが、コンピューターのおかげで仕事量が増え、その効率優先のせいで正社員では対応出来ず、派遣社員を雇ったり、派遣会社がすきま産業として業績を上げたりと、これはもう、人権無視、命を大事にしない、人間の奴隷化(コンピューターに支配されたという意味で)が蔓延している。
電車やバス一つを考えてみよう。昔昔は運転手さんと車掌さんが同乗していた。バスに乗ると、車掌さんが切符を切りに車内を回り、幼い子を連れて乗るお母さんたちを助けたり、お年寄りが乗るのを助けたりと、車内の状況を把握した上で、「発車オーライ」と言って、バスは動いていた。
それが、半世紀前からワンマンバスになって、運転手さんがお金のやり取り、車内の安全をすべて受け持って運転するという、神業的な業務を強いられるようになった。過労で運転に支障が出る事故も最近増えた。そもそも、そんな激務のバスの運転手になる人が減ってきて、東京では、バスの運転手不足が言われて久しい。
電車も同じことだ。地下鉄など、「これはワンマン電車です」というのが増えた。乗ってからの不測の事態をどうやって一人で対応するというのか。ホームから転落するという悲劇が繰り返されているが、電車に乗る前にすでに人手不足の弊害が起こっている。ホームに駅員がいれば、目の不自由な人を手助けするくらい十分できるはずではないか。
トラックの運送だってそうだ。何もかも一人で責任を負わされている。事故に遭ってもそれは自己責任にされる。遠距離高速バスの事故が絶えないのは、このところの規制緩和で、安全よりも利益を追求するバス会社が増えたからである。
コンピューターという存在があっても、コンピューターに出来ないことはいくらでもある。あるのに、効率だけ追うから、人権無視の労働現場が次々に現れ、人の命を脅かしているのだ。これはもう、機械による、人間抹殺の時代に私たちは生きているということである。
バスも電車も車掌さんを雇えば、現場の雇用は2倍になる。超高齢化社会の日本では、かゆい所に手の届くサービス、コンピューターにもAIなんかにも出来ない、人間味あふれた本来のサービスがもっと重要視されてもいいのではないか。
チャップリンの「モダンタイムス」が喝破した人間不在の不気味な産業構造をもう一度見直さなければ、過労死も過労自殺もなくならないだろう。人間復活のチャンスは今こそあるのだ。
目前の利益に奔走して判断を誤った東芝という愚かな企業に象徴されるように、日本の企業はあまりにも人権を無視してきた。企業側はもう一度、原点に戻って人間優先の会社、社会の構築に全エネルギーを傾けてはどうだろうか。遅すぎるということはない。気が付いたときに改めればいいのだ。
Never Too Late.
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