なぜ、素直に謝罪しないのか。1960年代の朴政権のときに取り交わしたことは、日本が韓国に対して賠償金を支払うということで、それは実行され、それをもとに、韓国経済はその後の発展へとつながっていった。が、しかし、日本政府は正式な謝罪をしていない。
従軍慰安婦の問題が明らかになっていくのには、時間がかかった。被害に遭った女性たちが勇気をもって公式に発言するのには、それなりの歳月がかかる。朝日新聞のいわゆる「吉田証言」が裏をとるという、ジャーナリストなら必ずやらなければならないことを怠ったために嘘の証言だったことが判明。その後味の悪さが残っているが、吉田証言がなくても、歴史の証人はいくらでもいるはずだ。
1995年に民間基金によって、従軍慰安婦だったハルモニたちに賠償するという話が進んだが、ハルモニたちの「お金の問題ではない。まず謝ってほしい」ということで、この基金の組織はうまく機能しなくなった。
韓国の人々が怒るのは当たり前ではないか。お金の問題で片を付けようとしているのは、当時も、そして2015年12月の日韓合意も同じである。過去の事実に向き合って、日本側がいかに残酷で卑劣なことをハルモニたち、70年前の少女たちに強行したのか、このことに対して、日本政府は過去、一度も謝罪していないのである。
2016年の曖昧模糊、内容ほとんど支離滅裂の安倍談話は、まさにこのことを象徴している。美辞麗句ばかり並べて、当時の被害者当人の心情を思い図ることもなく、植民地朝鮮に対する配慮が全く感じられなかった。
日本政府の不誠実さが続く限り、あの少女像はなくならないだろう。なくしてはいけない、と私は思う。唇を真一文字につぐみ、瞳は暗く、寒空に日本政府に向かって座っている。これ以上の抵抗の姿を私は見たことがない。
従軍慰安婦を「戦争だから、しょうがなかった」などと言う爺さんは、けっこういる。あのNHK会長もしかりである。戦争の責任、いたいけな少女たちを戦場の前線に送った日本政府の罪は決して消えることはないだろう。だから言いたい。せめて、過去の事実をしっかり見つめて、謝罪することだ。加害者に出来ることはそれしかない。
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