互換性に対する認識不足。これって一流企業のやることでしょうか。国際競争力低下が進むだけ。衰退するSONY。私には近い将来の、その姿がどうしても目に浮かぶのだ。ブランドに胡坐をかいていたら、おしまいだ。吉兆だけではないのだ、今の日本で凋落の一途を辿る運命にあるブランド店は。
次なる互換性欠如の怨みはMP3、WALKMANだ。私は韓国の音楽(いわゆるK-Pop)CDをけっこう持っている。パソコンにコピーして、かつてはOZZIOという韓国系(?)のMP3に入れて、留学生時代散々聞いていた。東京に戻ってSONYのWALKMANを家人が買ってくれたので、同じように楽しもうとパソコンから入れようとした。ところが入らない。理由は韓国語版だからだって。なんという偏狭さ。ハングルは中国語と並んでJR、Tokyuほか私鉄の駅表示板にも併用されている時代よ。なんというアナクロニズム。
韓国ではSONYのVaioの人気が高いらしい。各メーカーの人気の度合いは、何を目的にするかによって決まる。たぶんSONYなら、音質だろうか。SONYのスピーカー、イヤホーンに対する神話はいまだに韓国では根強い。実態はどうなのだろう。割高のSONYをわざわざ選ばなくても、音の解像力の点で差はなくなってきているのではないか、というのが私の見識である。もっともSONYのPlay Stationの人気は不動のものかもしれない。ゲームの世界で生き残っていくしかないのかな。
ということで、互換性を無視したソニーのMP3は机の引き出しに入ったままだ。今すぐにとは思わないが、あの最新iPodが定着して安定供給されるのを私は密かに待っている。
3 件のコメント:
ずいぶんとイヤな目に合ったのですね。
一流企業というものは昔からそういうセコイ事をやってきて‘一流‘になったのですよ。歴史的に見ても、上野にある、あのI氏邸、米を買い占めて国民を泣かせたあの**商事の創設者の家ですよね。すごいインテリアで、ため息つくほど豪華でしたよ。それと、あらゆる自動車会社は、表向きにはGNOなどに協力してえらいんだぞとか言っているくせに、裏では兵器の部品を製作したりして戦争を煽ってるんです。そういうの死の商人って言うんですよね。
さて、話は少しそれてしまいましたが、代理店にまつわるセコイ話は私の周りでも腐るほどあります。数年前、久しぶりに主人の実家に行ってみたら、テレビの上に同じ機能で名前の違うデッキが3個重なっていました。「この3台ないとテレビが見られない。」と代理店に言われて、高齢である彼の母はそのとおりに信じてしまったそうです。水没した私の携帯も、高いお金を払って新しいモノを買わされましたが、結局、古いやつをドライヤーで乾かして使っています。
いくら理路整然と自分の意見を通しても、中には詐欺まがい、犯罪に値するものもあります。しかし、しかし、、一番の原因は自分が知らなかったから、、、
この手の嫌な事があったら、世の中はこういうモンだと割り切って明日から賢く生きるバネにするか、代理店のオッサンに酷似した藁人形を作るためにブードー教に入神するかは自由です。昔の私だったら鬱憤をはらすため、即後者の方へ走ってしまうだろうな。でも最近はぐっとこらえて、これは試練なんだと考えてみることにしています。どんなゲームでも試練をクリアできれば、一つ賢くなって次のステージに進めます。
でも、どんな風に賢くなったのか、、、
主人が母に言っていました。「何故買う前に一言言ってくれなかったんだ?」そのとおり。知らなかったら、知っている人に聞けばいい。幸い私の周りにはメカおたくが数人います。これからMP3を買う際にはぜひご一報を。オークションという手もありますし。
お互い、嫌な事があったら厄払いだと思いましょうね。次にはいい事があると信じましょう。
例えば、仲がいい友人からお誘いのメールが来るとか、、、
2014年、SONはついに自社ビルを売却するそうですね。150億円とか。でも「焼け石に水」のような気もする。あれほど一世を風靡していたヴァイオも、あれほど高音質を誇っていたウォークマンも、既に過去のもの。世間を熱狂させたプレーステイションも後発のゲームに取って代わられた。
今宣伝している、超高画質のテレビ受像機は果たして存在価値があるのだろうか。
高度な技術だけを頼りに一流の世界を作り上げていったSONYだけど、結局、自分で自分の首を絞めていったんだね。
SONYが生き残る道はあるのだろうか。
SONではなくて、SONYでした(1行目)。
超高画質のテレビは確か、4Kといってまだ盛んに宣伝している。あそこまでこだわる必要があるのか、ちょっとついていけない気がする。
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