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2010/07/20

暑い

 梅雨が明けて、昨日今日と東京は35度を記録。日が落ちても32度近い。最低気温がもう少し低いと楽なのだが、一日中メリハリなく暑い。布団が干せるからまだいいけど、こう暑いと脳は思考停止だね。水分こまめにとって梅雨明け十日を乗り切ろう。でも乗り切る元気なし。わっつい。

2010/07/15

人のふんどしで相撲をとる

 早朝、時計代わりにTVをつけると、新聞記事にやたら線を引いて、それを丸読みしてはなんだかんだと言っている。自称「報道」ワイド番組だ。人が取材したものをそっくり読むだけで番組が成り立つなんて。TV界の人間の質の悪さに今日も音を消す。マスメディアの質の低下は目を覆うばかり。読んでいる人、情けないと思わないのかしら?

2010/06/23

気に入らない言い方

 「~させていただきます」。これがやけに耳につく。単純に「~します」ではいけないんだろうか。やけにへりくだって言うところに「逃げ道」を用意しているのがちらちら見える。もっと堂々と、私はこれをやろうと思うとか、やりますとか言えないのだろうか。参院選が始まれば、もう、いやになるくらいこの物言いが氾濫するに違いない。そんなに自信がないのだろうか。何を恐れているのだろうか。

2010/06/08

マクベスの森

 家の裏手に有名進学校がある。ポプラ並木に覆われているのだが、冬は葉っぱが全部落ちて、校舎の大部分が見える。それが春が過ぎ、あっという間に蒸し暑くなった最近は葉っぱが生い茂り、建物が見えなくなっている。いつの頃からか、我が家では「マクベスの森」と呼ぶようになった。
 
 今日見たら、森が4割がた出来上がって、見るからに頭の良さそうな生徒たちがいるであろう校舎の半分以上が隠れてしまっている。毎年の風景なのだが、今年はやけに未練がましくその光景を見つめてしまうのだ。 

 これで秋が来て、葉が落ち、ポプラの枝が天空に晒される頃には2010年も終わる。2000年が始まったとき、10年後の2010年という年をまったく想定しなかった。そもそも21世紀なんてまだまだ先のことだと思っていた。友人の子供たちはすっかり成長し、親はすっかり老い、家では85歳以上の老親を3人も抱えている。そんな日が来るなんて10年前には考えだにしなかった。 

 聡明な人間なら先のこともきちんと想定して日々を堅実に過ごしていくのであろうに、私ときたら、結局その日暮らしのいい加減さにくるまれている。「マクベスの森」はある意味恐怖の森だ。決して乗り越えることのできない時間という壁が急に胸に襲ってくるので、やりきれない。  

 関東地方もそろそろ梅雨に入るのだろう。

2010/06/06

彼らはどうした?

 4月末、ソウルであったKくんは、会った次の週に会社面接があると言っていた。うまくいったら連絡してねと言っておいたのだが、何も連絡なし。落ちたのかな。昨年9月に大学を卒業し、銀行に入ったものの、あまりに労働時間が長くてこれでは身体がもたないと、やめたとのこと。それからはアルバイトをしながら就職の機会を窺っていた。 

 残業がなくて、少なくとも週1回は休みたい。日本では当たり前のことが韓国ではまだまだそれを実現している人の方が少ない。とにかく世界一労働時間の長い国が韓国なのだ。週40時間労働(週休2日制)なんて夢のまた夢なのだ。だから過労死だって多いし、転職なんて当たり前の世界。

 もう一人Mくん。彼は過労で胃炎になり、しばらく故郷で静養したあと、元の会社に再入社(こんな言葉があるのかよくわからない)した。その後どうしているのか。お釈迦様の誕生日(今年は5月21日)をはさんだ連休も終え、ソウルの会社に復帰したはずなのだが、どうしているのかよくわからない。 

 日本は景気悪いけど、韓国は市場を最初から外国に求めているので、基幹産業は着実に伸びている。だから経済は上向いているのだが、会社単位で見ると、どこも超難関の就職市場となっている。  

 20代のKくんも30代のMくんもまだまだ未来は開けているのだが、世間はそれほど甘くない。気がかりな二人の青年の行方。そのうちわかったらまたここで紹介する。

2010/05/30

明日で5月も終わるね。

 4月は肌寒い日が続いたし、1年ぶりにソウルに行ったし、なんだか落ち着きのない日々だった。5月に入っても天候は安定しなかったし、雑誌の郵送に明け暮れているうちに、もう明後日から6月だ。なんだか早い。というより年々時が速く過ぎていくのかもしれない。 

 久しぶりに会った母は、順調に老け込んでいた。80歳を過ぎると、半年、いや3カ月で体力の衰えが目に見えてはっきりしてくると言う。そうかもしれない。そうかもしれないとすぐに理解できるほどこちらも年を取った。最近87年とか89年生まれの人と知り合う機会があったのだが、なんだか宇宙人のように思える。肌は確かにすべすべだし、余分な脂肪もついていないけど、頭の構造がどうなっているんだか、何を考えているのかおよそ見当がつかない。

 彼らにとっては1年が長いだろう。先のこともあれこれ深刻に考え込んだりしないだろう。自分の20代初めの頃を思い出そうとしても何も思い浮かばないところを見ると、きっと漫然と目前のことだけ考えて暮らしていたように思う。 

 20代よりも80代の方が身近に感じられるということに愕然とする日曜日でした。

2010/05/15

5月2日日曜日 帰国

 6日目のソウルと言っても、今日は早朝に仁川に着いて、ただ成田に戻るだけの日だ。前日、ヒョッチャのご主人から「いくら早起きでも、万が一のことを考えてホテルにモーニングコールを頼んでおいた方がいい」と言われ、夜明けの4時にモーニングコールを頼んだ。

 結局ホテルからのベルがなければ起きられなかったところだ。ソウル6日間の疲れが溜まっていたのだろう。スーツケースは前の晩にふらふらになりながら(オリンワンジャの話を聞くのにくたびれた模様)パッキングしておいた。乾燥防止用の化粧水だけはリュックサックに入れて、つけていた下着も丸めてリュックへ。頭はボーっとなっている。仁川行き始発リムジンは4時50分。7時から有効の朝食券は無駄になるだけ。スーツケースがやけに重たく感じる。買い物はほとんどしなかったし、増えた印刷物は李氏の博士論文ぐらいなのに、重たく感じる。それだけ私が疲れていたということか。 

 空港は7時過ぎから開く店ばかりなので、全体にどんよりと暗く、その中でようやくチェックインを済ます。ただし、化粧水が100ミリリットル以上だから機内持ち込み禁止だと言われ、しかたなくリュックに入れて、リュックごと預けた。これがまずかった。 

 リュックの外側ポケットには成田に着いてすぐに使えるようにとチェーン付の財布を入れておいた。大金はショルダーバッグの封筒に入れておいたが、リュックの財布には、パスモ、デパートのカード、数千円が入っていたと思う。 

 成田に着いて、手荷物を受け取り、すごい速さでリムジンバスの受付に走る。箱崎行きはあと2分で出るというので、その便にしたものの、なんとリュックのポケットにあるはずの財布がないではないか。やられたと思った。急いでショルダーの中の封筒をまさぐって一万円札を出し、事なきを得た。同じポケットの奥に入っていたショッキングピンクの小銭入れはそのまま無事だった。自販機で緑茶を買うことができた。

 手荷物受け取り所に戻ったところで財布が見つかるとも思えない。仁川でやられた可能性もある。成田の可能性はうすい。わざわざチェーンを外して財布を抜き取り飛行機に乗せたんだろうなあ。大金が入ってなくてよかったし、デパートのカードがインターナショナルではないものだったので、これまたよかった。帰りにデパートに寄り、紛失届けを出すつもりだ。 

 化粧水の容器は100ミリリットル以下にしよう。財布は預けてはいけない。勉強になりました。 

 P.S. 携帯の写真で仁川で1枚、成田に着いてリムジンで1枚セルフ写真を撮ったのだが、表情がまるで違うのには我ながら驚いた。前者は緊張に満ちた顔、後者は晴れやかな顔をしているのだ。財布を盗まれたにもかかわらず、これ以上ないという喜びに満ちているのだ。1年ぶりに一人でソウルを訪れ、無意識のうちに顔を硬直させながらソウル市内を経巡っていたに違いない。本人は楽しい気分のつもりでも実際の顔は緊張でこわばっていたのだ。