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2009/04/24

今日から韓国南部地方へ。

 羽田から釜山の金海までの直行便がない。国内線で関空まで飛び、国際線に乗り換えて金海まで行く。成田まで行けば、金海行きはあるのだけど、このところ羽田ばかり利用していると、成田がやけに遠くに思える。
 
 今回は人に会う旅でもある。釜山では5年ぶりに知り合いの女性に会う。留学時代に初めて知り合い、釜山を案内してくれたことがある。小学校の先生で、写真が趣味である。今回は彼女が釜山在住の写真作家に紹介してくれるという。いっしょに写真ギャラリーも訪問する予定だ。  

 テグでは、教保のブックログで知り合ったブックロガー3人と会う。そのうち一人は昨年ソウルに行ったとき、大田からKTXに乗ってわざわざソウルまで来てくれた女性で、今回もテグまで駆けつけてくれるとのこと。後の二人はまだ30そこそこの若い男性。一人は地元でビヤホールを経営していて、もう一人はその彼と同じ大学の後輩に当たる人だ。3人ともブックログをずっと続けていて、面白い本の紹介や日々の出来事などをユーモアたっぷりに提供してくれる。昔で言えば、ペンフレンドに会うという感じか。書かれたものを見れば、大体どんな人かわかる。  

 初めての光州では、10年来の知り合い夫妻が案内を買って出てくれた。二人とも地元の大学で教鞭をとっている。以前から遊びにおいでと言ってくれていたが、今回ようやく実現した。  

 週末は天気が悪いらしい。来週は晴れるようだ。4ヶ月ぶりの韓国。やはり胸が躍る。

2009/04/22

旅仕度

 あさってからの韓国南部地方の旅。スーツケースの中身を例によって出したり入れたり。初夏の陽気だったり、雨が降れば気温は低くなるし、内陸地方であれば、朝夕の気温差があるしで、ブログや書評ブログの仲間のアドバイスを参考に、半袖はやめた。長袖のシャツを折り返せばいいことだし、ダスターコートか、軽いジャケットも用意することにした。  

 昨年の今頃同じ地域に出かけた家人に聞いても、「覚えてない」のひと言。写真を一枚も撮らなかったので、なんの参考物件もない。もちろん昨年の気候がそのまま今年に当てはまるわけもないけど、人は毎年、何を着て生活していたか思い出せないものかもね。

2009/04/19

背中の痛みがなかなか取れない。

 背中の痛みといっても、それは打ち身なのだ。先日、地下鉄から降りようとしたとき、眼の前に立っていた女性が肩から提げていた馬鹿でかい袋物が、いやというほどまともにぶつかってきたのだ。痛かったので、にらみつけながら下車したのだけど、本人が気がつくはずもないよね。 

 最近、こういった手合い、背中に眼のついていない連中が増加の一途を辿っている。自分の部屋を持ち、好き放題自由に暮らしているからなのか、外に出てもおよそ配慮というものを持たずに街を闊歩している。闊歩というか、みっともない姿勢で、ヨロヨロ歩いているのよね。 

 そういえば、先日大阪の阪急電車に乗ったときも、関西大学の学生と思しき男子学生ががやがやと乗り込んできた。それぞれにこれまた馬鹿でかいリュックやカバンを提げていたんだけど、その中の一人のカバンが、座っている私の顔にぶつかりそうになったのよね。後ろ向きのまま友だちとしゃっべっているから、すぐ後ろの座席に人が座っているという当たり前の事実に気がつかないんだね。私ははっきり注意した。「すいません(私は何もすまないことはしていないけど)、荷物がこっちにぶつかってくるんですけど」。さすがにその学生、恐縮してまっすぐ姿勢を正した。でも、相変わらず不安定なポーズで友だちと話し続けているのよね。多少、きまり悪そうにね。 

 外に出たら、少なくとも公共の場所では、背中にも眼をつけなさい。ましてや車内で化粧するなんて、言語道断。家庭の躾けがなってないね、まったく。個室付きの家で、何不自由なく育つと皆そうなるとは言わないけれど、どうもその傾向にあるね。

 MP3の世界に浸り、どこに行っても自分のお気に入りの音楽を連れて、周囲にまったく配慮しない若者よ、一度耳からイヤーホーンを外して、周囲をちょっと見回したらどうでしょうか。若いのは今のうちよ。経ってみれば短いのよ。あっという間に高齢者になるんだから。高齢者なんて、自分とは縁のない世界の人々だなんて思っていたら大間違い。本当に近い将来、君たちも仲間入りよ。まあ、もっとも、そういう配慮のない若者はそのまま配慮のない高齢者になってしまうんだろうなあ。

2009/04/16

押入れ整理

 なんだか急に暑くなってきた。ウールの物をしまい、半そでのTシャツ、足首がすっかり出るジーンズなどを急いで出す。家の中にいるとそれほどでもないが、外に出ると、夏の陽光がいやおうなく射す。ソメイヨシノが散って葉桜になり、八重桜が重たそうにその枝を揺らす頃、突然、初夏の趣になるのは、この十何年の変わらぬ季節の移ろいだというのに、私はいつもたじろいでしまう。 

 スーツケースも出して、来週からの韓国行きの準備も始める。靴下にスニーカーはもはや暑いだろう。素足にサンダルで行こう。半そでのTシャツ、タンクトップ、日傘など、日差しの強い韓国南部に合わせて荷物を揃える。 

 アパートの前のワンルーム建設工事もこの2月末には終了し、すでに住人が住み始めている。夕暮れになると、曇りガラスの向こうに女性のシルエットが浮かび上がる。家賃9万円也。自由にしなやかにシングルライフを楽しんでいる風である。

2009/04/15

ノ・ムヒョン前大統領に失望する韓国国民

 韓国が大変だ。大変というより、非常に大切な時を迎えたという感じがする。ノ・ムヒョン前大統領が現役時代に100万ドルのお金を受け取っていたということが発覚し、それが収賄に当たるのか、目下、検察の調べが入っている。当時の100万ドルが何億ウォンに相当するのかよくわからないが、清廉潔白、政治とお金の癒着を誰よりも排除しようとしたノ・ムヒョンにして、そんな莫大な金を受け取っていたという事実は「ブルータスお前もか」と、大いなる落胆と失望を韓国国民に与えていることは事実だ。 

 所詮、権力にはお金が集まるものだという諦めにも似た感情が湧き起こっている。ノ・ムヒョンを支持した多くの民主化運動の人々や、イ・ミョンバク現政権に対するダーティイメージがないまぜになって、今、韓国は大いに揺れている。  

 当時は、ノ・ムヒョンを慕う会まで出来て、民主化闘争の人権派弁護士として今までに見られない新しいタイプの政治家の登場に熱狂し、数々の困難を乗り越えてとうとう大統領にまでなったのに。そしてインターネットの時代を象徴するかのように、無党派の若者をインターネット投票に駆り立てたのに。既成の古い政治家のタイプではない、身をもって韓国の民主化を体現してきたような彼も結局お金には勝てなかったということなのか。  

 イ・ミョンバク=以下、2MBと言おう。2MBは今、独裁に走っている。その端的な政策は、言論の自由を封殺していることだ。YouTubeという全世界を圧巻している動画サイトがあるが、ここは匿名で参加できる、ある意味無政府状態を許す世界である。そこが、実名でないと投稿できないという韓国政府の意向を拒否したのだ。 

 実名で投稿するなんて、そんな馬鹿なことがあるだろうか。匿名で好きなことを自由に投稿するからこそ、本当のことが見えてくるのだ。新聞、TVに対する韓国政府の介入は到底理解できない。そんな民主化に逆行している2MB政権の中で若者を中心に反権力の運動が盛り上がりを見せてきた矢先のノ・ムヒョン発覚というタイミング。 

 ノ・ムヒョン支持者の中には、それでも彼を支持したいというけなげな人々もいる。こんな2MB政権下だからこそ、真の民主主義を模索していくべきだという考えなのだと思う。そうでなければ、現政権の思う壺に入ってしまうではないか。 

 1992年に金泳三の民主政権が樹立して17年目、韓国は今、岐路に立たされている。成熟した民主化を成し遂げるためにも、今が正念場だと思う。一人の政治家だけで事が終わるのではない。長い眼で見たときの、その国の民主化の成熟度が問われているのだ。国民の意識の方が、一歩も二歩も先を行っていると思うから、私は期待して見ている。 

 それにつけても、日本はだらしない。民主化を自らの手で得なかったし、何の疑問も持たずに当たり前のこととして受け入れたからね。おぞましい自民党一党独裁の歴史が終わらないではないか。なし崩し的に国民は定額給付金を受け取って、飼い慣らされていくのか。民度の低い日本の政治、私は期待できない。 

 政治意識が芽生えてしかるべき学生たちは、いかに格好よく自分を見せようかとファッションに血道をあげるか、大麻に手を染めるかのどちらかだ。アホを通り越して、馬っ鹿じゃなかろうか。いや、馬や鹿には悪いけどね。

2009/04/13

旅の楽しみ

 3泊4日の大阪の旅から戻った。大阪も桜が舞い、散り、本居宣長の「もののあはれ」なんかを感じたりして、いい春の日を過ごした。 
 
 旅の楽しみの一つに旅先で知り合いに会うというのがある。見知らぬ風景の中に身をおいて旅愁を味わうのも一興だが、見知らぬ土地で見知った人々に再会する喜びはまた格別のものがある。 

 今回は、1年の研究休暇を大阪で過ごしている韓国人夫妻、晋州時代の日本語の教え子Yさん、そして高校時代の同期生、仙台で初めて会った元研究者の男性、この計4組の知人に再会した。 

 晋州時代、Yさんを含めて4人の大学院生に週1回日本語を教えていたのだが、彼女は助手の仕事が忙しくて宿題もあまりやってこなかったし、2年ちょっとの間にさして進歩もなく、教える側の非力さを痛感していた子だった。それが今回会って、あまりの向上ぶりに感嘆するほかなかった。  

 「先生、私、4時間の睡眠時間以外は日本語の勉強してました」とYさんは言う。すごい集中力というか、もうあとがないという切迫感から、彼女はついに日本語をものにしたのだ。若いということは、その気になればなんだって出来るということだ。で、昨年大学院に見事入学し、今年は修士2年目、論文を書いて来年には韓国に戻るつもりだと高らかに言ってのけた。努力する人に祝福あれ! 手伝えることがあれば、なんでも言ってちょうだいと私も高らかに言った。 

 高校の同期生。なんと四半世紀ぶりの再会だった。こっちも白髪頭だし、25年と言ったら、長いよ。会ってもわかんないんじゃないかと思っていた。ところが、西宮の駅の改札で待っていた彼女、全然変わってなかったのよね。向こうも「変わらないね」と言うのだが、お互い変わらないはずがないんで、一瞬たじろぎながらもその顔の奥に高校時代の顔を見つけるんだね。その亡霊のような青春の顔を25年という歳月を一気に無視して見つけてしまうんだね。すごいというか、無謀というか。 

 話は尽きない。人生の中でも最も光り輝く季節ともいえるこの四半世紀のことを3時間ぐらい過ごしただけでは語り尽くせるわけもない。お昼を食べて、コーヒーを飲みながら、互いの来し方を適当にはしょってしゃべり合った。話の最後にお互いの行く末に希望の影がちらりと見えたのは幸福だった。

 仙台から大阪に移り住んできた男性は、目下求職中。年齢よりもはるかに若く見えるし、人柄がよさそうだし、彼ならなんとかこの浪速で生きていけるだろう。6月に雑誌の編集会議をやることになっているが、そのときも呼んでくれとのこと。召集かけるに決まってる。8号の執筆者第一号だしね。 

 韓国からやって来た夫妻とも知り合って12年。晋州時代の私の保証人も引き受けてくれた。雑誌の顧問でもある。6月の編集会議は大阪でやる。大阪会議。1875年にあったね、そういう歴史的会議が。大久保利通らが集まって何を話したのか忘れてしまったが、とにかく明治維新では名高い大阪会議。仙台に引き続き、2回目となる大阪会議になんだか期待が持てる。

2009/04/07

明日から大阪へ

 12月に引き続いて2度目の大阪行きだ。桜も見頃は過ぎただろう。 

 今回の主目的は、  1)民族博物館に行くこと。  2)大阪遊学中の友人家族に会うこと  3)大阪留学中の教え子に会うこと  4)高校時代の友人に会うこと 

 1)は、3)の教え子と一緒に見学するつもりだ。彼女Y嬢、おっと先般結婚したからYさんと呼ぼう。Yさんとは2005年から会っていない。その間、私が釜山に行った折会うはずがうまく予定が合わなくて断念。その後、彼女が東京にやって来たときは、私が入院中で、これまた会えずじまいで、なんと今回4年ぶりに会う。晋州で週1回日本語を教えていたときは、それほどでもなかったのに、その後努力の甲斐あって、見事に日本語を身につけ、大阪の大学院に入学を果たした。歳月恐るべし。私とは携帯メールでやりとりする。あんなに日本語出来なかったのに。私の教え方にも問題があったのかもしれない。 

 4)の高校時代の友人とはもっと会っていない。20年以上は会っていない。この間、電話で話したことはあるが、高校時代そのままのしゃべり方だった。その後、私が韓国滞在、そして留学と、日本を思い出す暇がなかったので、このところの「浦島太郎」現象に拍車がかかっている。  

 9日木曜日は満月だ。何かが起こるかもしれない。

2009/04/05

中目黒の桜祭り

 いやー、目黒川沿いの桜、絶景でした。そもそもここの桜は、20年前だったか、護岸工事のときに、桜の古木が全部切り落とされたのだ。それが、5年経ち、10年経つうちに桜の若木がどんどん育って、今年、久しぶりに見に行ったところ、昔の古木を思い起こさせるほどの成長ぶりに、来し方行く末を思った。

 桜の見頃にここへやって来たのも、本当に久しぶりだ。留学前のことになるから、もう随分経つ。いや、あれはもしかしたら20世紀のことだったかもしれない。電車の窓から見えるものだから、現地に行くのはついつい後回しになってしまい、そうこうするうちに桜の季節が終わり、若葉に移行していたってことが多かった。

 桜も、染井吉野から大島桜までいろいろあって、花の色も微妙に異なる。桜もそうだが、花というのは、前の年に芽が出て、それが成長し、そして花と咲き、散っていくというこの1年間最後のハイライトなのだ。桜、4月、新年度というムードでも、それは人間の側から見た思いであって、桜からすれば、命の一区切り、花が散って、次の代に命が引き継がれるという季節なのだ。今年は思う存分桜を眺めた春だった。

2009/04/03

不具合なパソコン

 昨日からパソコンの具合がおかしくなった。ウィンドウズのファミリーセイフティーという機能がある。ウィンドウズなりのセイフティ機能と考えればいいのだが、これ、いつから私のパソコンに入ってきたのか、よく思い出せない。パソコンを起動させるときに、この機能のために、一度ログインしないとエクスプローラーに連結しなくなってから随分経つ。昨年のいつ頃だったろうか。  

 一時マックと格闘した末、結局ウィンドウズに戻らざるを得なくなったのだが、戻ってから異常が頻発するようになった。メール確認、お気に入りにあるサイトとの連結は問題なく出来る。ところが、メインのブログとして特に力を入れているネイバーのブログに入れなくなったのだ。オットケーヨー?  

 メールの確認はネイバーでも出来るし、カフェ更新も異常は見られない。ただブログだけには入れないのだ。おかしい。  

 自分のパソコンでブログの更新が出来ないというのは、非常に不便なものだ。貯蔵している写真を自由に掲載することもできないし、書き込みに対する返事もままならなくなった。家人のパソコンを使えば、画面に入ることは出来ても、書き込みによってはその文字が映らないこともある。返事のしようがない。
  
 ということで、昨日、ファミリーセイフティを外し、ウィンドウズの機能も最低限に整理し、エクスプローラーも8.0から従来の7.0に戻してみた。私のデスクトップは2002年製で、その司令塔はかなり古いものになってしまっている。後付で家人がいろいろとグレードアップをしてくれたらしいが、本体が古いままでは、いくら新機能を付け足しても、限界がある。メモリーを増やしても、容量を増やしても、本体が7年前の製品だから、自ずと限界があるのだと思う。肉体の老化に抗すことができないのと同じかもね。
  
 それで、起動させてみたのだが、やっぱりネイバーのブログだけ思うに任せない。自分のブログに入れているお気に入りの音楽だって聞けないのだ。なんてこったあ。音楽のない生活なんて考えられないのに。なんてこったあ。  
 
 桜が散る前に、今日は遠出でもしてくるかな。  

2009/04/02

違うことから出発するか、同じことから出発するか。

 反応がないというのは面白くないものだ。人は同じではない。こちらが感動したことでも、他の人にすればそれほどの感動とはならないこともある。こちらが勇んで、メールの返事を出しても、読んだのか、読んでないのか、何の音沙汰もなく、日々が過ぎていくと、なんだか虚しくなる。  
 
 感覚は人それぞれに違うにしても、こちらの意図したことがほとんど伝わらなくて、何の反応も返ってこないというのは、やはり寂しいものだ。これまでの経験では、女性同士はすぐに感応して、「あれはよかったわよね」とか、「あれは面白かったね」などと言い合って、共感することができるのだが、相手が男性だと、そういうことが少なくなる。ましてや男性同士が、共感しあって手を取り合っているなどという光景は一度も目にしたことがない。  

 女性同士の関係性は共感から出発するが、男性同士は対立から出発すると聞いた。確かに共感からはそれ以上のことは何も生まれない。対立はさらなる次元を生み出す可能性がある。だからと言って、常に対立から出発するのもしんどいだろうと想像する。  

 人は違って当たり前だ。違うことから出発すれば、腹も立たないだろう。でも、同じ人間としての素朴な喜びも悲しみも共通のものとして抱えている。たまには、共通項を互いに確認し合ってもいいではないか。