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2009/04/13

旅の楽しみ

 3泊4日の大阪の旅から戻った。大阪も桜が舞い、散り、本居宣長の「もののあはれ」なんかを感じたりして、いい春の日を過ごした。 
 
 旅の楽しみの一つに旅先で知り合いに会うというのがある。見知らぬ風景の中に身をおいて旅愁を味わうのも一興だが、見知らぬ土地で見知った人々に再会する喜びはまた格別のものがある。 

 今回は、1年の研究休暇を大阪で過ごしている韓国人夫妻、晋州時代の日本語の教え子Yさん、そして高校時代の同期生、仙台で初めて会った元研究者の男性、この計4組の知人に再会した。 

 晋州時代、Yさんを含めて4人の大学院生に週1回日本語を教えていたのだが、彼女は助手の仕事が忙しくて宿題もあまりやってこなかったし、2年ちょっとの間にさして進歩もなく、教える側の非力さを痛感していた子だった。それが今回会って、あまりの向上ぶりに感嘆するほかなかった。  

 「先生、私、4時間の睡眠時間以外は日本語の勉強してました」とYさんは言う。すごい集中力というか、もうあとがないという切迫感から、彼女はついに日本語をものにしたのだ。若いということは、その気になればなんだって出来るということだ。で、昨年大学院に見事入学し、今年は修士2年目、論文を書いて来年には韓国に戻るつもりだと高らかに言ってのけた。努力する人に祝福あれ! 手伝えることがあれば、なんでも言ってちょうだいと私も高らかに言った。 

 高校の同期生。なんと四半世紀ぶりの再会だった。こっちも白髪頭だし、25年と言ったら、長いよ。会ってもわかんないんじゃないかと思っていた。ところが、西宮の駅の改札で待っていた彼女、全然変わってなかったのよね。向こうも「変わらないね」と言うのだが、お互い変わらないはずがないんで、一瞬たじろぎながらもその顔の奥に高校時代の顔を見つけるんだね。その亡霊のような青春の顔を25年という歳月を一気に無視して見つけてしまうんだね。すごいというか、無謀というか。 

 話は尽きない。人生の中でも最も光り輝く季節ともいえるこの四半世紀のことを3時間ぐらい過ごしただけでは語り尽くせるわけもない。お昼を食べて、コーヒーを飲みながら、互いの来し方を適当にはしょってしゃべり合った。話の最後にお互いの行く末に希望の影がちらりと見えたのは幸福だった。

 仙台から大阪に移り住んできた男性は、目下求職中。年齢よりもはるかに若く見えるし、人柄がよさそうだし、彼ならなんとかこの浪速で生きていけるだろう。6月に雑誌の編集会議をやることになっているが、そのときも呼んでくれとのこと。召集かけるに決まってる。8号の執筆者第一号だしね。 

 韓国からやって来た夫妻とも知り合って12年。晋州時代の私の保証人も引き受けてくれた。雑誌の顧問でもある。6月の編集会議は大阪でやる。大阪会議。1875年にあったね、そういう歴史的会議が。大久保利通らが集まって何を話したのか忘れてしまったが、とにかく明治維新では名高い大阪会議。仙台に引き続き、2回目となる大阪会議になんだか期待が持てる。

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