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2017/02/28

見るに堪えない国会中継

 参議院の予算委員会を見てると、質問者の背景、ちょうどカメラが写す範囲にタレント上がりの厚化粧の女性議員と、知性のかけらもない目つきの悪いビーチバレー出身の議員が見たくもないのに見える。はっきり言って目障りなのだ。この二人を国会に送った選挙区の選挙民にも呆れるが、およそ野党質問者の質問の内容を理解できないという顔をしている。

 この程度の国会なのだ、日本は。総理の奥さんが日本会議系の幼稚園の入園挨拶に出席することや、新設される小学校の名誉校長になること自体、異常なのに、小学校設立に際して、国有地を非常識な安値で取引するという前代未聞のスキャンダルが今、国民の前で繰り広げられているというのに、なぜ、この国のメディアは権力を叩くということをしないのか。

 おかしいではないか。現役の首相べったりの日本会議という団体もおかしいし、憲法改悪の署名を集める神社や、日本会議の息がかかった団体の存在は、安倍政権の偏狭、偏狂ぶりを実にわかりやすく見せてくれているというのに。特定の政治集団に属した首相というのも前代未聞だ。自民党総裁というより、そもそも安倍晋三という人は日本会議の代表、シンボルと言ってもいい。

 昨夏、安保法案(=戦争法案)反対の風が起こった時、「安倍政権を許さない」というプラカードが作られて、私なぞは留飲を下げたのだが、それも一時的なものだったのか。このフレーズを考えたのが沢地久枝さんで、墨文字を書いたのが俳句の金子兜太さんだった。ご高齢のお二人には頭が下がる。メディアの人間は彼らの爪の垢でも煎じて飲むがいい。

 久しぶりに国会中継を見て、また怒りがこみ上げて来るのだった。


2017/02/12

不可解なゆうちょ銀行 2 2009年1月28日に公開したブログです。

 まず、どういう趣味で元号を使うのか、私は問いたい。西暦で十分ではないか。民営化したのなら、公文書でもあるまいに。何に忠誠を誓って元号を使うのか。わっかりにくいのよね。西暦2009年で十分じゃないの。

 ゆうちょ銀行の職員は皆、頭の中に西暦と元号の変換表が入っているのか。変換する必要がどこにある? 西暦でいいじゃないの。この国際時代に、何を考えているのか。

 イスラム世界はともかく、旧暦を併用している国でも西暦が通用している時代に、何たる時代錯誤か。ゆうちょ銀行って何? なあんにもいいとこないじゃん。それと、あの制服。このグローバル、カジュアル時代に何を血迷って、旧態依然とした服装に身を包んでいるのか。理解しがたいことばかりのゆうちょ銀行である。

不可解なゆうちょ銀行 2009年1月27日に公開したブログです。

 確かコイズミの肝いりで民営化したはずのゆうちょ銀行。民営化したからといって、何が変わったというのだろう。せいぜい、地方の町の隅々にまであった郵便局が消えてなくなり、高齢者の不便が増したぐらいだろう。誰も喜ばない民営化である。

 日本は韓国のような住民登録カードがない。身分証明は、写真付きの自動車免許証か、パスポート、あるいは健康保険証だ。車にも海外にも縁がない人は、健康保険証が身分を証明する唯一の手段だ。病院通いでもあるまいし、常に保険証を持って歩く人はいない。

 近所の郵便局の話。このところ簡易保険の満期で何度か足を運んでいる。そのたびに保険証を持って、身分を証明しなければならない。いい加減に顔だって覚えているだろうに、行けば、私だって認めているのに、その度に保険証のコピーを取るんだね、これが。マニュアルにそう書いてあってマニュアル通りにやらないと気がすまない、いや、事が進まないらしい。

 私を私と認めたあなたの眼は、一体なんのためについているのかと聞きたい。韓国だったら考えられない。こんな融通の効かない話、あちらで一度だって経験したことはない。早い話が顔パスが効いたのだ。

 保険証の偽造は出来ても、顔の偽造はめったなことでは出来ない。それなのに目の前にいる私をさしおいて、保険証の提示を求めるゆうちょ銀行の職員って何? はっきり言って血の通った人間ではないらしい。

 そういったマニュアル通りの手続きに時間を取られているから、仕事が遅いのよ。合理化されるべきところがダラダラとそのままで、村や町の隅々にまで発達していた旧郵便局のネットワークを見事に崩壊させてしまったというわけ。

 このところコイズミ改革のひずみ、矛盾があらゆるところで噴出している感がある。誰だ? コイズミを支持したのは? そこのおばはん、あんた、反省しなはれ。街角に貼ってあるコイズミ・チルドレンの厚化粧のおばはん、あんたのことや。目鼻立ちばかりでかくて、政策もなんもない、あんたみたいなどうしようもないおばはんがいる限り、女は所詮アホやと思われるんや。まあ、そう言っても自分のことだなんて思うてないやろね。厚顔無恥のポスターを見るたびに引き裂いてしまいたい衝動にかられるのは私だけやろか。まだ選挙は始まっていないから、選挙法違反にはならんやろね。破いたろか~。

大学って何?  2009年6月27日に公開したブログです。

 大学って、今の日本でどういう意味を持つ機関なんだろうと、ふと思うことがある。「風俗にお勤めですか?」と聞いてしまいたいような格好の女子大生を見かけたりすると、こんなアホみたいな娘に高い学費を払っている親の顔を想像してはげっそりしたりする。

 政治にも今の日本の現状にも何の疑問も持つことなく、電車に乗れば、知性のかけらもない顔に化粧を施し、ランジェリーまがいの品のない服装に身を包み(いや、包んでないね、身を曝け出し)、親のすねを丸かじり、挙句の果てに就職まで親掛りだったりする子女もいると聞いた。

 男子学生はと見れば、そんな同世代のけばいお嬢さんたちにおびえ、草食男子はひたすら社会の片隅で事なかれ主義に徹するというわけだ。我が学生時代と比較すると、雲泥の差だ。我々の頃は貧しくとも、志があったよね。なんて、こんなことを言うこと自体が年取ったということなんだろうけど、まあ目を覆わんばかりの最近の大学生事情だ。

 そんな大学生を指導する教師、そして大学当局は意識改革した方がいいかもね。若年人口は減少の一途を辿っている。いっそのこと「象牙の塔」などと権威をカサに着ないで、実態に即して「モラトリアム・レジャーランド」だとはっきり表明したらどうだろうか。もっとも、いい意味での「象牙の塔」はとっくの昔に瓦解してるね。大学は随分前から若者争奪戦のスカウト集団に成り下がっていたんだね。

2017/02/09

西部劇でもあるまいに。2011年5月6日

 10年目にして、オサマ・ビン・ラディンを見つけて殺したんだね。作戦の名前もジェロニモ

2017/02/05

腹の立つ高額報酬者のリスト



 このリスト、どこからコピーしたか忘れた。毎年、更新しているのだろうか。
最新のものがあるのかもしれないが、とりあえず、PCにあるこのリストをアップした。

表示が小さくて読みにくいと思う。画面をクリックすると、拡大画面が現れる。とくとごらんあれ。

2017/02/02

陰険体質JTB

 これは、2009年1月31日に公開したブログです。

 引き続き私は腹を立てている。もっともこの腹立ちは今を遡ること10年以上前から続いているものだ。そう20世紀末の話になる。

 大体私は一流企業と世間で言われている企業とそりが合わない。なぜだかわからないが、とにかく気に入らない企業が多いのだ。その主な理由のひとつに、その傲慢さがある。エリート意識もえらく強いと来てる。

 JTB=Japan Travel Bureau。昔は日本交通公社と言っていたから、半官半民の会社だったんだね。半官半民。これはけっこう質が悪い。公社と名のつく所に碌な所はないというのが私の持論だ。

 でもこの公社に入るには、いい学校を出ていないと入れない。JTBは東大閥だと聞いたこともある。東大閥でも何でもいいけど、要は仕事をちゃんとやってほしいということだ。旅行会社というのは個人情報をかなり抱え込んでいるはずだ。顧客との信頼関係の上に成り立っている職種である。

 それが、信用できないことが20世紀末にあったのだ。なんとも不愉快極まりない電話1本のために私は頭から湯気を出して、抗議しようかと思ったが、相手のストーカー行為と見まごう言動に気味が悪くなって、一切無視したのだ。無視したものの、その陰険かつねちっこい態度は決して許していない。エネルギーさえあれば、訴訟だってすればよかったのだが、もはや時効も過ぎてしまっただろう。

 私にできることは、JTB某支店の中年男に対する怒りと軽蔑に満ちた文章をブログで公開することしかない。

 といっても事細かい経緯を明確に覚えているわけではない。プロセスより怒りの方が強く記憶されてしまったのだからしょうがない。個人情報を握っている者にしかできない電話をし、顧客を馬鹿にし、薄っぺらなエリート根性を曝け出した、その男、まだJTBで働いているのだろか。働いているとしたら、さすがJTB、人を見る眼がないね。

 あるいはとっくに定年退職でもしたか。どうでもいいけど、職場から去って、家庭でも地域でも嫌われているだろうな。

 一流企業という名にあぐらをかいているそこのおっさん、あんたは相当のおバカさんだということ、死んでも自覚しないだろうね。バカは死んでも治らない。

空気が読めない人びと

 これは、2010年4月に公開したものです。

 空気が読めない、即ちKYについて。相手の気持ちを汲み取ることのできない人々が増えた。

 茶道を長らくおやりになっている女性がいる。茶道の極意は何かと言えば、それはまさに「相手の気持ちを察する」ということである。ところがその知り合いの女性、「察する」という言葉が彼女の辞書にない。何を長らく茶道なぞやっているのか、皆目わからない。とにかく「察しの悪い人」なのだ。

 察しの悪い人ほど付き合いきれない人はいない。一を聞いて、十を知れとは求めないけれど、せめて三ぐらいまでは察しなさいと言いたい。でも言えないんだなあ。

 現代人はみな自分が忙しくてしかたがない(と思い込んでいる)日々を送っている。家電製品で家事が効率よく片付いていくはずだというのに、「家電のおかげで、私暇よ」なんて言う主婦に会ったことがない。何にみんな振り回されているのだろうか。いわゆる情報だろうか。

 情報だってピンからキリまである。頭を使わない人ほどくだらない情報に振り回されて、買う必要のないブランド品に囲まれ、そこから自由になれず、ネズミがくるくると回転車を走るように眠りにつくまで身体を動かし続ける。身体は動かすけど、頭の方はねえ。怪しいものだ。

 まず相手の話によく耳を傾けること。忙しがってばかりいても何にもならない。瞑想する時間を少しでも設けることを私は提案したい。「ねずみの時間、象の時間」という新書版があったけど、できることなら「象の時間」で後半生をゆったり過ごしたいものだ。