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2010/05/10

4月30日金曜日

 昨日で著作権に関する問題があらかた片付いたというか、残部100部に関して正誤表を入れるのを頼める雰囲気ではなかったので、あの韓国語版は韓国語版としてあれで終わりにしようと思った。
 知的所有権に関する意識がまだまだ低く、今はその加害者が中国に移っているようだが、10年前から多少権利意識が出てきたとはいえ、市場やミレルオーレなどの小売店が集まったところに行くと、いまだに日本の雑誌に掲載された有名ブランドのバッグや財布の偽物が堂々と売られているのだから何をかいわんだ。

 今日と明日の土曜日は緊張も解けて久しぶりの人々に会う日に当てられてうれしい。お昼は雑誌7号までの表紙を担当してくれたAくんに会いにホンデーイック(弘益大学入り口)のLomo Shopへ行った。相変わらず軽いノリの好青年だが、最近失恋したばかりでかなり傷ついた模様。

 お昼をご馳走するからと1時頃店を出て、適当な食堂に入る。そこでハルモニプルコギ定食をご馳走した。日本語がすっかり上手になっていたので、韓国語しゃべったり、日本語で会話したりした。

 「ずいぶん流暢になったね。元々語学の才能があるのかもしれないわね。フランス語だってできるし」と言うと、「フランス語は全部で十ぐらいしか知らない」と謙遜した。失恋ですっかりやせてしまったが、少しずつ本来の明るさを取り戻してたくましくなってほしい。

 夕食はW夫妻と大学路で。トルソッパプの定食をご馳走した。東京に5年も滞在し、ご主人は東京大学で博士の学位をとった。夫人は韓国に戻ってから博士論文の準備中だが、久しぶりの韓国の学界に少々疲れを覚えているようだ。彼女はいつ会っても高校生みたいに若々しい。舅と姑の世話をしながら、娘も育てている。Wくんが早く正式に就職できるようになればいいのにと思う。

 食後のコーヒーは1956年から続いているカフェへ。天井が低いが、70年代を思い出させるような雰囲気でソウル市内で50年以上も続いているカフェは珍しく、こちらまで懐かしい気分になった。もっともW夫妻は70年代が始まる頃に生まれたのだ。年齢のことなど考えずに和気藹々とした関係がもてるのはいい。

 ちょっと前まで「東大門運動場」という駅が最近「東大門歴史文化公園」という駅名に変更した。
トンデムンウンドンジャンで5号線に乗り換えることが多かったので、長い名前の新しい駅名はどうもなじめない。

 彼らと別れて、明日5月1日に会うことになっている人々のことを考えながら、いつものように9時過ぎのニュースを聞きながらベッドに入った。

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