金くんは元々私の本の読者で2008年に初めて会ったのだが、およそ韓国人らしい雰囲気がほとんど感じられない好青年だった。日本のどこにでもいる性格の良さそうな人だ。約束時間もきちんと守るし、メールを出せば、やはりきちんとした返事をくれる。当たり前のようなものだが、韓国では珍しいタイプに見える。
「今、出かける準備をしていますので、できるだけ早く伺います」とのこと。友人宅で歓待されたので、その分けっこう疲れていたし、日本語ができる人が一人もいなかったので久しぶりに話す韓国語もちょっとモタモタした。でも時間が経つにつれて相手に合わせて早口で対応できるようになったのには自分でも驚いた。なまじ日本語が一切通用しない環境の方が覚悟と諦めがついて韓国語の世界にすんなり入っていけるのかもしれない。
鮮やかな青いネクタイに紺系統のスーツに身を包んだ金くんが現れた。へやースタイルも短く刈り込んでいて何よりもそのネクタイがよく似合っていた。私にとっては息子のような存在だが、実際にこんな息子がいたら頼もしく思うだろうなあと思った。
運転振りは慎重で、車庫入れも上手だった。ローファームの近所で軽く昼食を済ませ、いよいよ弁護士事務所(ローファーム)のビルへ乗り込んだ。約束時間通り相手の弁護士さんが登場。彼は私の友人のJ氏の大学の後輩に当たる。とても感じのいい方で、分厚い法律の本を手に、著作権関係のページをあれこれ見ては、適切な説明とメモまでして下さった。金くんがいてくれたおかげで専門用語もすんなり通じた。大体の話が終わったので、お礼を言って部屋を出た。エレベーターまで見送って下さった。
昼下がりの江南は人も車も多く、久しぶりだったからか、以前より高層ビルディングがかなり増えているように見えた。歩いている人々も江北とはちょっと違った雰囲気でエリートたちも多いのだろう、私の知り合いにはいないタイプに思えた。
午後4時、出版社の社長現れる。10年前に私と契約書を交わした社長は昨年亡くなられたとのこと。7人兄弟の一番上が前社長で、現社長は末の妹さんだった。子供服製造の仕事を20年も続けてきたキャリアウーマンで、顔はやはり前社長に似ていた。昨年から債務整理に追われ、慣れない出版業界で頼りになる職員もいない中、ほぼ孤軍奮闘してきたらしい。
前社長は本を売ることよりも、本を作ることが好きだったみたいで、28年間の出版業の間になんと680冊以上の本を作ったとのこと。680冊という数字を聞いて私は気絶しそうになった。出版界は慢性の不況が続いている。インターネットでも手軽に本が読めるようになった時代に、彼はコツコツと本を作っていったのだ。在庫も相当なもので、田舎の別荘に大きな倉庫を作ってそのまま置いているそうだ。売れなければ断裁するのが出版界の常だが、本を愛するあまり1冊も断裁せずに28年間抱え込んできたという印象を受けた。営業部員が一人もいなく、インターネット上にサイトを持っているのでインターネット決済でビジネスを細々と続けてきたという感じだ。子供服の妹にしてみれば、唖然とするばかりだっただろう。
ところで10年前に1000部出した私の本は900冊まで売れたそうだ。思いの外売れていたので少々驚いたが、今となっては誤訳の多いものが900冊も世に出たことに複雑な思いがする。作者の良心としては、残りの100冊に対して修正表を差し込んでほしいところだが、今更そんなことを頼む相手でもないし、あの本は原書(日本語)がけっこう売れたので、韓国の研究者は、韓国版よりも原書を手に入れて参考にしているという話も聞いた。
今や遅しという感もあるが、韓国でも口述筆記の大切さが叫ばれ、多くの民俗学関係者(歴史専門家というより)が口述筆記のために日本と韓国を行ったり来たりするようになった。あと20年早かったら充実したものになったのになあと私なぞは思うが、全然やらないよりはいい。若手研究者に期待するしかない。
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