2009年春に公開したポストです。
毎年のことだけど、春は等圧線が立て込んでくる。暖かくなったと思ったら、寒気団が南下して、花粉症の症状も時々顔を出し、そうこうするうちに一気に花が咲いて、初夏の陽気になる。寒さに強い私としては、憂鬱な春の到来、そして蒸し暑さへの移行に絶望するだけである。
毎年のことだけど、春は等圧線が立て込んでくる。暖かくなったと思ったら、寒気団が南下して、花粉症の症状も時々顔を出し、そうこうするうちに一気に花が咲いて、初夏の陽気になる。寒さに強い私としては、憂鬱な春の到来、そして蒸し暑さへの移行に絶望するだけである。
季節だけではない。生命力に満ち溢れているということに、私はどうも嫌悪感があるようだ。だから世の中に溢れている愚かな母親たちには憎悪さえ抱くことがある。なぜか。自分の子供のことしか頭にないからだ。子供は母の所有物ではない。にもかかわらず、子供にべったりの母親が充満している。遺伝子レベルで言うと、子供への愛はすなわち自己愛である。過剰な自己愛は見苦しいだけだ。
モンスター・ペアレント(モンペ)と呼ばれている親がいるそうだ。昔からこういう親はいたのかもしれないけど、今のように目立つ存在ではなかった。それは生活に困らない程度の、余裕ある生活が生み出したものかもしれない。
そのターニング・ポイントは1960年だろうと私は見ている。この年に生まれた人々も今や50歳を目前にした連中だ。どうも質が悪い。この世代を育てた親世代は昭和一桁だ。この世代も質が悪い。両世代に共通しているのは物質万能主義だ。なぜかルイ・ヴィトンのバッグを持っている。それがちっとも似合っていない。
中学生になるまで天孫降臨を信じ込ませられ、敗戦を迎えたとたんに民主主義を移植された昭和一桁世代にしてみれば、疑心暗鬼になるのが普通だと思えるのだが、それがそうでもない。世の中の流れになんの疑問も持たずに流されていったというのが大半で、常に疑ってかかるという人々はこの世代の少数派に属する。
日和見の親に育てられれば、その子供が日和見になるのは自然の法則だ。自分が今何をしたいのかではなく、世の中がこうだからそれに身を任せるという輩が多い。そして1960年世代がまた子供を産むと、それは次々に拡大生産されていくだけだ。この親子関係は携帯電話でつながっている。携帯でやり取りする前に、じかに顔を見て話したらどうでしょうか。情報に踊らされ、自分の子供の限界も見極められずに権利だけうるさく主張するというモンペの存在は百害あって一利なし。