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2024/08/08

イスラエルという存在

  広島、長崎の平和式典の参加を巡って、妙なことが起きている。

 広島はイスラエルを招待し、パレスチナは招待しなかった。パレスチナは、日本が国家承認をしていないという理由で。虐殺をやめないイスラエル参加に対しては、多くの批判と参加反対を唱える署名が集まったにも関わらず。

 長崎はパレスチナの参加を認め、イスラエルの参加は認めなかった。これに対して、アメリカ、イギリスが大使の参加を見送ることを決めた。G7の国々も不参加を表明する国が出てきた。

 また、ハニヤ氏暗殺(イスラエルが暗殺を実行したとされるが、イスラエルは沈黙したまま)でメンツをつぶされたイランに対して、イスラエル報復を自制する欧米の圧力があるのに、なぜ、イスラエルに対して、暗殺に異を唱えるどころか、自制を促す国がないのか、不思議でならない。

 イスラエルに対して、自衛権という名のもとに虐殺を容認すること自体、不可解だ。G7、とりわけ、USAは、原爆投下の謝罪さえいまだにしていない上に、ユダヤ資本、ユダヤ票を取り込むことには余念がない。イギリス、フランスもイスラエルの自衛権を当然のように認め、イスラエルを擁護する。

 第一次世界大戦の折、イギリスとトルコとの対立の中で、イギリスの外務大臣バルフォアがユダヤ人を味方につけようと、パレスチナの地にユダヤ人の国家建設を認めると約束しておきながら、同じイギリスの高等弁務官マクマホンは、イギリスの味方をすれば、アラブの独立を約束するという、いわゆる「イギリスの二枚舌」、これが、パレスチナ問題が今に至るまで続いている発端である。

 パレスチナ、ユダヤ問題は、旧約聖書の時代にさかのぼる必要はなく、20世紀に起きた問題である。エルサレムが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地であるならば、ここを含む地に特定の国家を作ること自体、避けるべきだったと思う。3つの宗教の聖地を「世界遺産」にでもして、国連の管轄下、世界共通の場所にしておけばよかったのに。

 欧米の無責任さ、特にイギリスの「二枚舌」と、ホロコーストに対する曖昧で誠実さの感じられない安っぽい「罪」の意識は、現在に至るまでイスラエルという存在の不確実性を象徴している。

  そして、イスラエルを全面的に擁護して、武器を供与し続け、虐殺を一緒にやっているようなUSAは、USAの中にイスラエルを組み込む、つまり、「ユダヤ州」あるいは「イスラエル州」でも作って、ユダヤ資本を思い通りにすればよかったのではないか。


 

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