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2014/03/17

奢れる者は久しからず ④ 国公立大学(県立大学も含む)

 国立大学、県立大学。どちらもその職員および教師(准教授、教授)は公務員に過ぎない。国立大学は国家公務員、県立大学は地方公務員である。

 
 少子高齢化により子供の数が減少の一途を辿っていることは皆もよく知ってるよね。近い将来4人から2人が高齢者一人を支えるという厳しい現実に私なぞは恐怖心さえ覚える。

 子供の減少は短大、大学側からすると、生き残りをかけた学生争奪戦となる。というよりもう、何年も前から定員割れを恐れて教授たちは必死の戦いに明け暮れているのである。

 公務員(親方日の丸)と言っても、この争奪戦から無縁であるはずはない。でも違うのよね。どうせ定員割れしたって、税金がなんとかしてくれるだろうなどと、どうしても他人事のように思ってしまうのよね。

 独立行政法人というのがある。これは「公務員とはなんら関係のない組織であるがゆえに自助努力をして(独立して)利益を上げておくれ」という趣旨の法人(=会社、利益集団)である。

 あれこれ見ていると、国立および県立大学レベルは、詰めが甘い。特に国立大学がある上に県立大学がある場合、国立と県立の違いを出さないと、めりはりがなくなる。たぶん、県立の方が学費が安く設定されているだろう。

 学費が払えなくなって中途退学する学生がこの数年、後を絶たなくなってきた。背に腹は変えられない。したがって、最初から安めの県立大学を目指す学生も当然多くなるだろう。

 私は韓国で地方の国立大学の実態をちらっと垣間見てきたことがあるが、地方=田舎における国立大学という存在は何者にも負けない権威を持つというか、大学関係者は、その地方のちょっとした名士になってしまう。地元の中学、高校の国語の先生たちにとって、地元国立大学国文学科の教授たちは、あんなに頭をのけぞっていいのかと思われるほどの傲慢な態度の人もいる。

 県立大学も地方の名士による組織体である。地元の地方公務員がそのまま県立大学に事務員として就職すれば、これはもう一生ものの安定株を掴んだに等しい。だからなのか、彼らは不遜な態度を隠さない。最初は東京に対するコンプレックスの裏返しからそういう態度をとるのかと勘ぐった。そうではなかった。彼らは明らかに地元のエリート中のエリートなのだ。これは県立大学の先生から直接聞いた話だから間違いない。


 実際、教授たちより、多くの権限を担っているのが、県立大学の事務員なのである。恐るべし地方公務員、侮りがたし、大学事務員なのであった。
 

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