その中で、オメガのものが2つ、1つは手動でねじを巻く方式、もう1つはねじ巻き不要のすぐれものだった。そのままでは動かないので、近所の時計屋さんに見てもらった。どちらもきれいにオーバーホールすれば、使えるでしょうということで、2つのオメガは文字盤もきれいに蘇った。2つで3万円ちょっとかかった。
オメガの製品なんて、高くて自分だったら買わないだろうし、そもそもクォーツ全盛の日本では、毎日きちんとねじを巻くとか、腕に身につけて、手の振動を時計に伝えるとか、そういうアナログ的なウォッチライフなぞ、想像もしていなかった。
この日記の愛読者なら覚えておられる方もいると思うが、高校の入学祝いに父からもらったSEIKOの腕時計(手巻き式)を2008年に銀座の修理専門店で3万円払って修理してもらったことがある。「毎日ねじ巻きを怠らなければ、もう3年ぐらいはもちますよ」と修理の人が言っていたが、この腕時計、なんと5年ももって、我々が上海に1か月滞在した最後の日にとうとう止まってしまったのだ。それはまるで父が私たちの不慣れな海外生活を見守って、力尽きたという感じがして、亡き父の愛を再確認したものだった。
「これだけ働いてくれたんだから、もうお蔵入りでいいわよね」と、家人とも話して、この腕時計は大切に私の思い出箱にしまわれた。
姑の腕時計2つの管理。最近は夜明けのルーティーンになり、何の負担も感じなくなった。そこで私は永遠に止まってしまったと思われる父からの贈り物も、やはり同じ近所の時計屋に持って行って見てもらうことにした。
見積額は9000円。8年前の3分の1。おまけに修理期間も格段に短い。近所に時計のマイスターがいることに私は感謝した。