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2024/09/26

「はだしのゲン」、そして昭和天皇の戦争責任

  汐文社刊 全10巻の「はだしのゲン」を初めて読んだ。強きをくじき、弱気を助ける少年ゲン(元)の純粋さや素朴な心意気が魅力的に描かれた、作者中沢啓二(1939~2012)の自伝的漫画である。

 6歳で被爆した中沢少年は、原爆投下直後の広島を忠実に再現した。水を求めて川に飛び込む者、近くの防火水槽の中で子供をかばった格好のまま息絶えた母親、火傷の皮膚が垂れ下がったまま、水辺に歩いて行こうとする人々の群れ……。死体にはやがてウジが湧き、広島は一遍に地獄と化した。

 ゲンは、家屋の下敷きになった父親、姉、弟を目の前にして見す見す助けられないまま、迫りくる火の手から身重の母親と逃げ伸びたが、これは中沢啓二の原体験として、その後の漫画家人生の原点となっていったに違いない。

 何よりも印象的なことは、原爆を落としたアメリカに対しての怒り、そして、戦争の最高責任者であった昭和天皇に対する怒りが容赦なく描かれていることだ。ゲンは思うのだ。「天皇は、父ちゃんたちに謝ってほしい」と。 

 原爆を落とされてから2年後、昭和天皇が広島を訪問したことがあった。広島市民が日の丸の小旗を振って天皇を迎える姿に、ゲンは怒りをあらわにする。ポツダム宣言をもう少し早く受け入れていたら、広島や長崎に原爆は落とされなかったかもしれない。どの面下げて、昭和天皇は広島を訪れたのか。そんな天皇を単純に歓迎する広島市民に対しても怒りを表す。

 戦後、どうして「天皇制」なんか残したんだろう。なぜ、天皇が「国民の象徴」として存在するんだろう。この思いは私自身、長年抱き続けている疑問だ。

 日本国憲法第14条には、すべての人間は個人として尊重されるという内容だ。天皇の存在はこの条文に反するのではないか。国民の総意に基づく「象徴」という存在について、私は異を唱えたい。

 明治以降、旧憲法(大日本帝国憲法)では、天皇は陸海空軍の最高司令官だった。時代が下って、昭和天皇は、第二次世界大戦で亡くなった300万人余りの日本人や、当時植民地にされていた朝鮮、台湾の人々に対して、「忍び難きを忍び……」という玉音放送を最後に、正式に謝罪したことは一度もない。A級戦犯のみに戦争の責任を押し付けた格好で、昭和天皇は何か思うことはなかったのか。自分も戦犯だという意識をもつどころか、軍人の意のままに動かざるを得なかったとでもいうのだろうか。

 戦争責任を曖昧にしたまま、天皇を「国民の象徴」として残し、個人の尊厳が侵害された格好で皇族が存在し続ける日本。

 最近、「はだしのゲン」が、平和教材から削除されたり、図書館での閲覧制限の動きもある。よりによってこの動きは広島から始まったようだ。その背景には「昭和天皇の戦争責任」を曖昧にしたいという何かの力が働いているような気がする。物事を曖昧にする、そして挙句の果てに隠蔽してしまうというこの思考停止はいつまで繰り返されるのだろうか。

 「はだしのゲン」が少年ジャンプに連載開始から50年。その後、世界20数か国で翻訳出版され、このほどUSAの権威ある漫画賞アイズナー賞を受け、殿堂入りを果たしたというビッグニュースが飛び込んできた。

 「はだしのゲン」を通して、ゲンの怒り、中沢啓二が表現したかった戦争責任について、今一度、考えるいい機会を得たことに、私は感謝したい。